被災収蔵品処置の記録 ―収蔵品を追う― ~写真分野編~<ラブリイ子爵の写真アルバム『日清戦争』>

作品解説

このアルバムの名前の由来になっているラブリイ子爵(生没年不詳)は、フランス公使館付き武官でした。ラブリイ子爵は日清戦争の際に日本軍に従軍した人物です。子爵の『日清戦争』アルバムに収められた鶏卵紙は、フランス人風刺画家ジョルジュ・ビゴー(Georges Bigot, 1860-1927)が撮影したとされています。
写真は1894年9月から12月頃のもので、朝鮮、金州、旅順などの風景が収められています。その内容は、日本軍の進軍の様子だけでなく、清国の負傷兵、港や馬小屋、人夫など、彼らが現地で出会った人々の生活風俗を伝えるものも含め、多様な写真が含まれています。

《朝鮮の人夫》被災前 ※上図のようにアルバムとして綴じられていた
《朝鮮の人夫》被災後(修復前)  

 

レスキュー過程

1.搬出
作品を収納していた鉄製の可動式棚が動かなくなったため、優先順位の高い作品が収納された棚から順に破壊して、搬出を行いました。その後、汚れた中性紙箱から作品を取り出していきました。

被災後の第8収蔵庫
2019年10月31日(撮影:伊奈英次)
慎重に作品を取り出す職員
2019年10月30日(撮影:伊奈英次)

2.水洗と乾燥
中性紙箱から取り出した作品は水で洗浄します。隣接する公園から水を引き、泥やカビで汚れた鶏卵紙と台紙を洗浄しました。この時、アルバムとして綴じられていた作品群は、ページごとに分離された状態になりました。水洗後は乾燥作業に移ります。今回は自然乾燥とエアストリーム乾燥法の2つの方法で行いました。

屋外にテントを設営し作業にあたる
2019年10月30日(撮影:伊奈英次)
水洗中の鶏卵紙
2019年10月30日(撮影:伊奈英次)
水洗後の鶏卵紙
アルバムからページごとに分離されている様子
自然乾燥
被災直後の設備の整わない館内では、水洗後に鶏卵紙を自然乾燥させました。自然乾燥だと、鶏卵紙のゆがみや湾曲が著しいため、上に薄葉紙を載せています
2019年11月5日
エアストリーム乾燥法による乾燥
水洗後、吸い取り紙と段ボールに鶏卵紙を挟み、送風することで、フラットニング(平らにする作業)を行いながら乾燥させることができます

 

『日清戦争』61点の処置前の状態

修復

乾燥させた<ラブリイ子爵の写真アルバム『日清戦争』>は、専門家に修復を依頼しました。修復を担当していただいた有限会社紙資料修復工房の花谷敦子氏に、修復作業の報告書をもとに、質問にお答えいただきました。

 

 

 

1.コンディションチェック
作品の素材、サイズのほか、水損による影響をチェックします。本作品には、水損によりカビ、汚れ、湾曲、台紙の層間剝離・損傷、鶏卵紙写真の亀裂、インク書きの文字の褪色等が見られました。それら症例のいくつかを以下に示します。

台紙の層間剝離により、各層が歪み
湾曲が激しく、亀裂も生じている
裏面からの突き傷による、鋭い凹凸
赤褐色の泥のような汚れ 新たな緑灰色のカビの付着

―コンディションチェック時の作品の印象を教えてください。
(花谷氏/以後敬称略)作品群は、台紙(薄い灰色のボール紙を積層した厚紙)とその上に貼られた化粧紙(白色の短繊維の極薄い洋紙)、更にその上に貼られた薄い鶏卵紙の写真作品という複層構造でしたが、被災時に作品が水の中をたゆたっている間に洗い流された糊と逆に固着や再接着を引き起こした濃い糊によって、乾燥後には著しい縮み、歪みや湾曲が生じていました。そのため、カビや汚れはともかく、平らに戻すために薄い鶏卵紙を傷めないかという懸念と共に、均一な処置が難しいだろうという印象を持ちました。

―均一な処置が難しいと思われたのはなぜですか?
(花谷)作品の数がたくさんあって、それらが様々な歪み方をしていました。おそらく糊が被災により洗い流されまばらに残ったため、比較的平らな部分があったり、ねじれが強い部分があったりしました。裏の台紙の剥がれ方も、よれたり歪んだり破れたりと様々で、それにあわせて処置をしていくのは難しいという印象でした。

 

2.処置方針
被災により著しく損傷した作品を展示できるよう審美的な部分を含め、回復を行うとともに、長期保存に適した状態となるよう処置を施すことにしました。

―方針を決める上でのポイントはどこにありましたか?
(花谷)普段は手稿などのドキュメントの修復を行っていて、時代を経た痕跡も含め、いかにオリジナルを長期的に残すかということを、最小限の介入処置の中で行うことを求められるので、今回のように被災以前を目指して審美的に回復するという考えに最初は戸惑いましたが、学芸員の方から、被災を越えて展示が出来るところまで作品を整えたいという思いを伺い、化学的・物理的に長期に亘り安定し、審美的にも整う、ということが交わるポイントをできるだけ過剰ではない処置の中でどのように行えるのかを考えました。

―「最小限の介入処置」と「過剰ではない処置」は似ているようで、まったく異なるものですね?
(花谷)「最小限の介入処置」というのは、いわゆる修復のルールです。一方で、「過剰ではない処置」とは何かというと、今回被災した作品や資料が膨大にあり、時間と予算を分配しなくてはならないと想像されるなかで、1点だけにコストをかけるわけにはいかない、その部分での折り合いです。保存の場合も(被災をしていなくても)同じで、館にある収蔵品をどのような予算と順序で保存していくのか、1点に過剰なことをしてしまうと、他の収蔵品に予算や時間をかけられなくなってしまう。時間がかかると公開をするのが遅れてしまいます。「過剰ではない」というのは、そういう意味です。

 

pH5.0に近い色を示すインジケータ

3.処置前のpH確認
作品の紙質の劣化を非破壊で測定する方法のひとつとして、紙中の水素イオン濃度の測定を行います。処置前のpHはいずれもpH4.0~5.5を示しました。

―pH4.0~5.5というのは酸性になっているということですね?この数値だと、紙質の劣化はどの程度のものなのでしょうか。
(花谷)経年の保存で劣化し生成された酸と、素材として内在する酸と、被災時の水により入り込んだ酸、この3つにより酸性に傾いている様子でしたが、普段扱っている酸性紙はそもそも酸性に傾く要因が多く内在しpH3.5前後のことが多いので、それに比べるとこの作品群は、適切なウエットクリーニングを施せば、ある程度内部の酸は外に排出出来て、今後、酸が紙中で生成し続けたり、他の作品へ影響を与えたりすることは可能性としては少ないだろうと思いました。

 

4.スポットテスト
処置に際し、使用する水分やアルカリ溶液等が、作品の材質や記載材料、付着している汚れ等に対し、可溶・可変を与えるか否か確認します。

―テストをしてみて、困ったなと思った点、あるいは逆に安心した点などがあれば教えてください。
(花谷)困ったと感じた点は、台紙の層間剝離が進んでいるにもかかわらず、写真貼付の部分の糊だけが濃く、さらにその糊の量も1点ごとに異なり、溶解し難いことが判ったことです。逆に安心した点は、浸水により鶏卵紙写真に細かなクラックが表面に夥しく入っていたにもかかわらず、脆弱ではなかったことです。表面がめくれてくることはなく、ある程度水分に耐えられると考えられました。少しでも剥がれようとする部分があったら水分は使えないので、歪みなどは改善できなかったと思います。手書きのインクの部分も耐水性がありました。

 

カビを吸着している様子

5.新たに生じているカビの除去
被災後のレスキューにより、カビのクリーニングがされましたが、その後、新たに発生したカビが複数箇所で見受けられました。そのため、シリコンノズルのスポットバキュームを使用して吸引を行い、固着が激しい箇所には練り消しゴムを使用し除去を行いました。

―緑灰色のカビですね?新しいカビでも激しく固着してしまうこともあるのですね。
(花谷)固着という言葉が正しいのかどうか解りませんが、ふわりと表面に載っているだけのものと樹が生えたように根を下ろしているようなものがありました。

 

 

汚れが付着した練り消しゴム

 6.ドライクリーニング

作品表裏両面の汚れをスポットバキュームで除去した後、練り消しゴムを使用し、細かく除去を行っていきます。貼付鶏卵紙の隙間には汚れが著しく付着をしていました。既に層間剝離をしている台紙の芯材の間からも汚れやカビが随所に見受けられました。

―紙の層の間にも汚れが入っていたのですね。被災状況など、ここから分かることはありますか?
(花谷)被災時、上下左右に揺れ動かされながら、水の中をたゆたっている時に、紙の複層構造である作品のその層を接着している糊が部分的に剥がれたり、糊が寄ったりして固着が進み、いくつものポケット状に空間が開いたため、その部分に逆に汚れが寄って溜ったように見受けられました。

 

7.台紙の芯材の除去
被災した本作品は台紙の損傷も激しく、その湾曲から写真に負荷を与えているものも多くありました。さらに除去中の芯材からはカビの菌糸の広がりが見られ、不衛生であるため、台紙の芯材を全て除去する方向の判断が館によってなされました。 台紙の芯材の除去にはゴアテックスとシンパテックス(水は通さないが水蒸気は通す素材:用語解説①)を使用し、僅かに湿り気が与えられるよう積層させ、中性紙ボードに挟み、板の重みにより緩やかにフラットニングを進めながら芯材の糊剤を軟化させ、層間剝離を進めていきました。 さらに糊が澱んだ部分は固着が激しいため、ジェランガム(水分を保持する弾性のある素材:用語解説②)を使用して糊剤を軟化吸着させて除去を進めました。

―芯材の除去は、かなり神経を使う作業だったと思いますが、特に気を遣ったところはありますか?
(花谷)台紙の芯材の除去は裏面から行いましたが、一番表側の極薄い白色の化粧紙が短繊維で裂けやすく、更にその上に貼られている鶏卵紙写真は化粧紙よりも厚く、すぐにカールし始めるので平らに保ちながら傷めないように剥離をすることに気を遣いました。鶏卵紙は厚い台紙に貼られた状態で固定をされていないと、2㎝径くらいの細い筒状に丸まってしまう性質でした。

 

ジェランガムでの汚れの吸着

8.赤褐色の汚れの除去
表面の赤褐色の泥様の汚れは、練り消しゴムでの除去後、ジェランガムを使用し、写真部分を除き、吸着除去を試みました。

―練り消しゴムとジェランガムの使い分けを教えてください。
(花谷)練り消しゴムは乾燥した汚損の除去に使います(ドライクリーニングの一種)。ジェランガムは紙の繊維間に入り込んだ水溶性の汚損を濡れと感じない程度の水分で吸着するウエットクリーニングの一種です。他にも様々な方法がウエットクリーニングとしてありますが、今回は汚れだけではなく糊の除去にも効果が高く、カビ害の作品に対して1点ごとに使い捨てが出来ることからジェランガムを選択しました。ジェランガムは2.5%の濃度で作りました。

 

 

台紙の化粧紙と写真貼付部の齟齬に生じたギャザリング

9.フラットニング
台紙芯材の除去後には、写真貼付部分と周辺の薄葉紙との伸長の齟齬からギャザリング(皺)が生じるため、少しでも軽減できるように、ゴアテックスとシンパテックスを利用してフラットニングを更に進め、齟齬を埋めるため写真周辺の薄様紙の部分にのみ、極薄い典具帖紙(てんぐじょうし)で部分裏打ちを施しました。

―処置によって皺が生じるなど、処置が課題を産むこともあるのですね。このような場面は他にありましたか?その時々に対応を求められる苦労などありましたら教えてください。
(花谷)製紙時に紙の繊維の流れる方向や、繊維の長さや太さ、繊維同士の絡みや接点の具合、填料(てんりょう)やサイジング(滲み止め)、経年劣化による部分的な硬化、糊の貼付などにより、水を与えた時の紙の伸び縮みは1枚の紙の中で異なります。さらに今回はすぐに筒状に丸まってしまう鶏卵紙写真の貼付がありました。写真の丸まろうとする力やその方向も1点ごとに異なったので、写真周辺の化粧紙の部分裏打ちには極薄い典具帖紙を使用し、その紙の目や伸長を変えたり、積層させて厚みを変えたり、糊の濃度を調整したりして、鶏卵紙写真の丸まろうとする力に抗えるよう、1点ごとに加減をし、平らに保てるように工夫をしました。

 

10.保存容器への収納
処置後は一点ごとにノンバッファー紙(アルカリに弱い資料を保護するための紙)に挟み、ポリエステルフィルムエンキャプシュレーション処置(透明なフィルムに挟み作品を保護する方法:用語解説③)を施し、中性紙保存容器に積層させて収納を行いました。

—修復を終えて思うことがあればお話しください。
(花谷)作品群全点が、ひとまず平らで安定した状態となりましたが、鶏卵紙写真は繊維間が密な洋紙に濃い糊で貼付されており、温湿度変化によっては引きつれや変形が戻る可能性もあります。今後、展示の際の温湿度変化にどれくらい耐えて平らに保ち続けられるか様子を見守りたいと思っています。

 

—ありがとうございました。

 

ゴアテックス、シンパテックス、パラプリント(下記参照)などの素材

(用語解説)

①ゴアテックスとシンパテックス
スポーツ用品でも知られている透湿防水素材のことです。水に敏感な作品に僅かな湿り気を与えたい場合に防水側を作品側にして反対側から水分を与えると作品側に細かな状態の水分が緩やかに与えられます。

 

 

 

 

 

ジェランガム

②ジェランガム
透明性が高く離水の少ない弾性のある硬質多糖類ゲルで、湿布のように紙に置くことで少ない濡れで紙の繊維間から効率よく汚損や酸性物質を吸着除去できます。他にもアガロースなどのフィジカルゲル、Nanorestore Gelという商品名のケミカルゲルや、サクションテーブルでの吸引除去、パラプリントという不織布の強力な毛細管現象と高い拡散速度を利用して紙中の汚損を除去する方法がウエットクリーニングとしてあります。

 

 

 

 

ポリエステルフィルム

③ポリエステルフィルムエンキャプシュレーション処置
PAT試験(Photography Activity Test/写真に触れる素材が写真画面に及ぼす影響を判断・評価するもの)に合格したアーカイブ長期保存用のポリエステルフィルム(75μ程度厚)2枚に作品を挟み、今回は長辺1辺を超音波シーリングしました。物理的な保護と共に、塵埃、隣接する素材からの酸の移行など、劣化要因から保護し、汚染物質や温湿度変化からの影響を軽減できます。今回は丸まろうとする鶏卵紙の安定が目的で、写真表面がポリエステルフィルムと擦れ合わないように、ノンバッファー紙のフォリオに作品を挟んだ後にこの処置を施しました。

 

 

 

有限会社紙資料修復工房
公的機関や民間企業の収蔵品としてのドキュメントアーカイブの修復を行っています。近現代資料に多い酸性紙資料、没食子(もっしょくし)インクで書かれている手稿などのそのまま保存すると劣化し続ける素材や、青焼きなどの湿式コピー・トレーシングペーパーなどの特殊な紙の保存修復処置に注力しています。HP http://www.padocs.co.jp

 

【おわりに】

紙資料修復工房では、19世紀の鶏卵紙を中心に修復していただいています。今回のアルバムのように、鶏卵紙とその台紙への処置が必要な修復というのは、洋紙への深い理解と高度な技術を持った紙資料修復工房だからこそ実現したといえます。 花谷氏の仕事から感じ取るのは、ものに対する鋭い洞察力ときめ細やかな対応、無駄を省いた実直さです。 将来的には、修復を終えた作品は展示などで公開されることとなるでしょう。被災を超えて存在する意味とともに、修復に携わる方々の仕事が、より多くの人々に広く共有される日を心待ちにしたいと思います。

《朝鮮の人夫》修復後  

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保存容器に収納された作品

 

【インタビューについて】

取材日時:2022年2月4日

取材場所:有限会社紙資料修復工房

取 材 者:川崎市市民ミュージアム 中野可南子 奈良本真紀