2014年12月17日

第3回二ヶ領用水現地見学研修「武蔵溝ノ口~武蔵小杉」

ボランティアを対象とした今年度第3回目の二ヶ領用水現地見学研修が11月8日(土)に行われました。

今回は、ボランティア8名及び職員1名(計9名)が参加しました。武蔵溝ノ口から武蔵小杉まで、二ヶ領用水の本流である川崎堀を約7Km歩きました。

行程は、武蔵溝ノ口駅→大石橋→雁追橋→二子塚→二子坂戸緑道→石橋供養塔→第三京浜国道→井田掘取水口→竹橋→宮内水門と八つ目土→大ヶ谷戸橋→木月堀取水口→薬師橋→高願寺→神地橋→泉沢寺→今井緑道→今井神社→青水門→武蔵小杉駅となります。

ボランティアの青木さんが資料準備・企画をしてくださいました。

 

画像1

 

溝ノ口から用水を歩きはじめると、鯉がたくさん泳いでいました。戦前はハヤ、フナ、ウナギ、アユがいたとのことです。現在とはかなり違いますね。今は、雁追橋あたりにはナマズがいるそうです。目を凝らして探しましたが、見つけることはできませんでした。このごろ地震がちょくちょく発生しているので、ナマズは忙しくお出かけしているのかと思っていました。後でナマズの生態を調べたところ、ナマズは肉食魚であり、夜行性で昼間は障害物や穴の中でじっとしている、とのこと。早朝か夕方以降でないとナマズを見ることはできないようです。草食系的な発想をしていてはいけない、のでした。

 

川崎堀のすぐ近くにある二子塚公園に寄り道しました。ここに古いトロリーバスがあります。川崎市営トロリーバスで、1951年から67年まで営業運転をされていたそうです。ここにあるのは現存する最後の1台だそうです。このバスはあちこち傷んでおり、タイヤが土の中にめり込んでいます。管理されているようには見えません。いずれスクラップにされるのではないかと心配です。

 

二子坂戸緑道は旧川崎堀の跡です。現在の整理された二ヶ領用水とは異なり、旧用水はくねくねと曲がっていたのがよくわかります。多摩川の氾濫原を利用して場所を選んで、負担のかからない用水工事が行われた結果だそうです。この曲がりくねった旧用水の跡を実際に歩きました。昭和のはじめまでは田んぼが一面に広がっていて、住宅が点在していたのでしょうが、現在ではどこも建物がいっぱいで当時の面影を想像するのは難しいです。

 

画像2

 

二子坂戸緑道の出口に石橋供養塔があります。寛政5年(1793)に木橋が石橋に架け換えられたとき、橋の安全を祈って題目と念仏を刻んだ石塔を建てたと云われています。この石塔側面の左右にそれぞれ「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」の文字が彫られています。宗派が異なっても仲良くしていこうという意識があったのだと思いました。

 

高津区は梨、中原区は桃が名産だったそうです。川崎堀を歩いていくと高津区には梨畑がありました。中原区に入ると用水の土手に花桃が植えてあります。「二ヶ領用水・中原桃の会」が1985年に発足し、その会は名産品にちなんで花桃を中心に植え、草花の手入れ、用水の掃除などを行い、環境を守る活動を行ってきたそうです。発足から約30年になります。花桃は老木になっているのが目につきます。枯れてしまった後に苗木が植えてあるところもあります。花桃の木がコンクリートで囲まれた小さな丸い穴や狭い隙間に立っています。この様子をみると花桃がかわいそうに見えます。

 

小杉十字路脇の神地橋の近くに今井堰があり今井神社あたりまでは、川崎堀と並行して今井堀が流れていたようです。現在、今井堰の痕跡はありません。後日、二ヶ領用水竣工400年記念事業実行委員会『二ヶ領用水川崎堀七堰調査報告』(平成23年2月)を見ました。今井堰の位置がかなり詳しく解説してあります。

 

画像3

 

武蔵溝ノ口駅を午前9時にスタートし、ちょうど3時間で予定通りのコースを終了しました。いつもながら青木さんをはじめ、他のボランティアの方々からも詳しい解説を聞くことができました。二ヶ領用水の現場を歩き、現物を見ることにより知識が脳の中に立体的に蓄積されていくように思います。研修終了後、ほぼ全員で武蔵小杉の飲食店にて昼食をとりました。相互に歓談できこれも楽しかったです。みなさん、ありがとうございました。

 

(博物館部門展示ガイドグループ 熊崎)

 

*2014年3月までのボランティア活動の様子は、こちらでご覧いただけます。

 http://ameblo.jp/kawasakimuseum2010/