9月13日(土)、「いろいろ、そうそう 田中 岑 展」のボランティア・友の会対象内覧会に参加しました。参加者はボランティア8名、友の会2名。解説は喜安学芸員です。
田中 岑は、1956年から半世紀以上にわたって、川崎市多摩区東生田にアトリエを構えてきたとのこと。川崎市民として親近感を覚えます。
展示は4部構成になっています。
「Ⅰ.色をもとめて」では、新進画家としてシェール賞、第1回安井賞の受賞から、試行錯誤を繰り返し自らの画風を確立するまでの作品。
「Ⅱ.画布との対話」では、1971年、胃潰瘍の手術後、療養生活の中で生まれた室内シリーズの作品(後の「扉」シリーズへとつながる)。
「Ⅲ.絵筆の記憶」では風景画の作品。
「Ⅳ.光をとらえる」では、画学生時代の課題であったモノクロームを再度追求した作品。
田中は画家を目指して上京し、1939年、念願の東京美術学校(現 東京芸術大学)に入学。しかし、海老原喜之助から、「美校」の食堂で勧誘を受けるや、わずか1カ月で、新設間もない日本大学芸術学科に転入。当時の「日芸」の講師陣は、30代の気鋭の作家たちが揃っていたといいます。
その決断力と行動力には感心します。
でも、人生、何がどう転ぶかわからぬものです。
「日芸」で「一色で勝負しろ」と教えられ、絵具の色が持つ本来の美しさに気づいたと、語っています。
1957年、《海辺》で新人画家の登竜門である第1回安井賞(文壇で言えば芥川賞)を受賞。
安井曾太郎の画業顕彰側面から、具象的画家の発掘・育成を目的とする賞でした。
日本の美術界が抽象へと転換していく時代にあって、どの作品が「具象的」と評価されたかが注目されました。
田中自身、自分の作品が「具象的」との認識がなかったことから、受賞後「具象とは何か?」を問い続けることになったそうです。
このことから田中は、時代の第一線を走ってきた画家なのだなと思いました。
戦地では斥候兵(隊に先んじて敵の状況を探りに行く)であったという話も、不思議な符合を感じました。
田中の描く風景画は時と場所を明示しないと、喜安学芸員。
作品《凧双つ》 田中の母校、香川県立観音寺第一高校所蔵。
あの日、見上げた突き抜けるように青い空は、夢と希望にあふれた青春の空だったのだろうか。
なるほど、それで誰にでも懐かしさを抱かせるのですね。
晩年、黄色や赤など一色を基調とした作品を多く描いています。
色はますます澄み、諧調の変化は内側から光を放っているようです。
展示室の入り口に、この時期の制作風景を映像で紹介しています。
一生をかけて、色にこだわり、追求し続けた画家は、今年4月12日に生涯を閉じました。
その人生と画業を辿る企画展です。
11月3日(月・祝)まで開催しています。是非足を運んでみてください!
【追記】
神奈川県立近代美術館〈鎌倉館〉の喫茶室に、2日間で描き上げたという伝説の壁画、
田中 岑の《女の一生》があります。
この喫茶室でお見合いをすると幸せになれるとのジンクスがかつてあったとか。
パワースポットですね!
(博物館展示ガイド・イベントサポートグループ 金田)
*2014年3月までのボランティア活動の様子は、こちらでご覧いただけます。
http://ameblo.jp/kawasakimuseum2010/