被災収蔵品処置の記録 ―収蔵品を追う―「影向寺ようごうじ絵馬」

■資料解説

 影向寺は宮前区野川本町にある天台宗の寺院であり、その縁起は天平年間に遡る歴史ある寺院です。当館には農具、漁具をはじめ、様々な民俗資料が収蔵されており、その中に今回紹介する影向寺の絵馬も含まれています。
 絵馬を受験の合格祈願などで奉納する人も多いと思いますが、元々は神仏への祈願、感謝のために馬を寺社に奉納するものでした。その後、次第に馬を描いた板を代わりに奉納するようになったことが絵馬という言葉の由来であると言われています。影向寺に奉納されていた絵馬には神馬が描かれたものがあり、かつての古い風習の痕跡を示しています。
 その他にも向かい目や乳しぼりといったモチーフのものもあります。向かい目の絵馬は、「め」が鏡合わせに描かれたもので、眼病平癒を祈って奉納されました。昔は煮炊きなどで日常的に火を焚くので、煙で目を傷めてしまうことが今よりも多く、こうした絵馬が奉納されたのでしょう。
 また、乳しぼりの絵馬は、母乳を出す女性が描かれています。これは、乳の出が良くなるようにと祈りを込めて奉納されたものです。昔は栄養不足で母乳が出にくい女性も多く、こうした絵馬を奉納したり、枝が乳のように垂れ下がっているイチョウの木を拝んだり、ということがしばしば行われていました。影向寺にこのモチーフの絵馬が奉納されたのは、乳の出が良くなるという伝承を持つ乳イチョウがあり、そのご利益にあやかって乳しぼりの絵馬が奉納されたのではないかと考えられます。
 絵馬は古文書のように文字で歴史を語るものではありませんが、その中にも人々のくらし、生活状況、歴史といったものが刻まれており、市井の人々のあり様を示している貴重な資料です。

■応急処置の工程

 令和元年東日本台風により、影向寺の絵馬を含む、収蔵庫で保管されていた民俗資料のほとんどが被災しました。
 搬出した資料の多くは、刷毛やブラシを使って水洗し、一度乾燥させ、その後エタノールを塗布し、乾燥後に燻蒸する、という手順で応急処置を進めていましたが、絵馬のような彩色されたもの、特に顔料が使われているものは、濡らした刷毛でこすってしまうと顔料が落ち、絵が消えてしまうため、この手順で行うことができません。
 そのため、影向寺絵馬も搬出後は乾燥させ、燻蒸を行い、現状保管としていましたが、薄葉紙などの養生材が固着し、顔料が粉状化していたり、鉄釘などの錆が進行していたりと劣化が進んでいる状態でした。処置をしたくとも、技術的に館内で対応することが難しく、専門の修復業者に依頼することになりました。


△「影向寺絵馬」(被災直後)

■修復

 影向寺絵馬は水洗などの処置を十分に行えていない状態であり、表面には薄葉紙やカビなどが残存していたため、まず初めに資料の状態を記録し、一度クリーニングをした後に、修復を行うことになりました。今回は施された処置について、いくつかご紹介します。

<クリーニング>
 彩色されているうえに、木の反りも見られたため、水を可能な限り使用しない、ドライクリーニングをすることになりました。ドライクリーニングでは、文化財用のクリーナーを使ってカビを吸引し、付着物を可能な限り除去します。しかし、それでも細かいカビや砂の粒子を除去しきれないため、エタノールとヒドロキシプロピルセルロース(HPC)を混ぜた液体を筆に付けて慎重にクリーニングを行いました。


△クリーニング作業の様子(付着物除去)

<剥落止め>
 粉状化した顔料はそのままでは取れてしまうので、ウシの皮などを煮詰めて作った接着剤である膠を使って剥落止めの処置をする必要がありました。膠にもいろいろな種類があり、それぞれ素材に浸透する度合いが異なっているので、それぞれに合ったものを選んで使います。今回使われているのは、ウシとシカの膠です。顔料の状態によって、2種類の膠の配合率を調整しながら処置をしました。


△剥落止めを行っている様子

<補助材の取り付け>
 影向寺の絵馬の中には縁がついているものがあり、板から縁が大きく浮いてしまっているものがありました。そのままにしていると縁が折れてしまう可能性もあるので、板と縁の隙間にパルプ材で作った補助材を入れています。板と縁の間に挟まっている白いものが補助材です。絵馬になじむように、補助材に補彩をしました。


△補助材を入れた絵馬

<錆止め>
 向かい目の絵馬の中には、それぞれ鉄と銅を含む2種類の金属が使われているものもあります。被災で水に触れた影響で錆が進行していたので、溶剤を塗布して錆の進行を抑える処置を施す必要がありました。
 鉄の部分には、エタノール水溶液とアセトンという溶剤を使い、綿棒で様子を見ながら可能な限り除去し、銅を含む金属の部分にはエタノール水溶液を主に使って除去しています。


△錆止めを施している様子


△「影向寺絵馬」(修復後)

 このような処置をして、影向寺の絵馬は修復されました。修復処置によって状態が安定し、展示することができる状態まで改善することができました。しかし、修復したといっても、資料の受けたダメージが消えるわけではありません。貴重な資料を残していくために、今後も資料の状態を注視していく必要があります。

林花音