写真ゲーム
ARTIST TALK_作家トーク
作家トークNo.7 折元立身(1)「東京マラソンへ行かないで、こっちに来てくれてありがとう!」
2004年6月に行われたパフォーマンス「処刑ーパン人間」 処刑台、中央は折元立身
ー今日のゲストは、折元立身さんです。よろしくお願いいたします。
折元:東京マラソン(本トーク開催当日2/17に開催)へ行かないで、こっちに来てくれてありがとう!
ーさっそく作品についてお話をうかがいます。今回展示させていただきました「処刑─パン人間」、これはどういう発想から生まれたのでしょうか?
折元:2004年に川崎市市民ミュージアムの企画展示室で行ったパフォーマンスの写真なんです。僕はずっと「パン人間」などパンに関する作品をやっていて、同じく川崎市市民ミュージアムでかつて「Selling Bread(パンを売る人たち)」のパフォーマンスをやっています。その一環として考えたんです。パンを使った「処刑」というアイデアですね。、ヒントになったのは、スペインの作家ゴヤの版画に、処刑をテーマにした版画があるのと、それから、マネの作品に、メキシコのマクシミリアン皇帝が至近距離でライフルで処刑される光景を描いた絵があります。美術史の中で特異ですがテーマとしてあるのです。そういうのを見て、パン人間だからパン人間の「処刑」というものを考えてみました。
まず最初に、パフォーマンスのリハーサルの日に、やっているところを写真に撮って記録に残しました。次の日に参加者の皆さんに写真を見せました。そして本チャンのパフォーマンスの「パン人間の処刑」をやりました。そのあとでしばらくして、写真を日本のある評論家に見せました。そしたら、悪評でした。というのは、日本ではこういうアグリーな処刑とか、戦争物とか、ドラッグ、麻薬、セックスをストレートに見せるのは、なんというのか、国民性かもしれませんけど、好まれません。特に僕が見せた二人の評論家は「これはちょっと……」と、「こういう戦争物みたいな、直接的な表現は受け入れられない」と、すぐ反応しました。それで、僕はちょっと落ち込みました。
目隠しをされ、処刑台にくくりつけられた状態で箱に入れられた山盛りのパンがすべて外に出てしまうまで振る舞うというルール
折元: 僕が現在所属するDNAギャラリーはドイツのベルリンにあります。その後、「処刑ーパン人間」のコピーを、そこのディレクターに見せました。ずっと見せるのを躊躇していたんです。「これは、きつすぎるかな。写真として、作品として」と思って。すると彼は「おっ、なんでこれを早く見せなかったんだ。すごくいいじゃないか!」となりました。そういう風に外国ではすごく素直に受け入れられました。そこが日本と違うところです。外国の場合は言いたいこと、自分の意見を先んじて直接出します。そういうのがリアリティ。私は戦争についてこう思う、作品についてこうだと。日本の作家はなかなかそれを直には出せません。ですが外国の作家はこういうのがすごくいいというので、DNAギャラリーで、今年の10月に展覧会をやることが決まりました。写真ゲーム展に参加することが決まって、深川さんに何を展示しますか、と聞かれまして、それでは日本ではなかなか受け入れられないこの作品をやってみましょうとなりまして、今回、初めてこの作品を展示しました。
ーどうもありがとうございました。補足して説明させていただきますと、2004年、折元さんの新作パフォーマンス「処刑ーパン人間」をやろうということで、市民の方を演者として公募しまして、オーディションを開いて、市民参加型で現代美術を作ろうという試みがこうして作品になりました。この「処刑ーパン人間」をやった頃、ちょうど、イラク戦争がまだ厳しい状況でして、日本人の人たちがいわゆるテロリストに人質になって処刑されるんじゃないかという事件がありました。写真をよく見ていただくとわかるのですが、パンを入れる箱にその当時の新聞の記事がいろいろ貼ってあります。そこには、イラクの人質の記事も入っています。この公演に関心をもった某テレビ局の記者がいらっしゃって撮影をされました。記者の方はとても共感をもって、ニュースでオンエアされようとしたんですけど、上の方からストップが入ってお蔵入りになってしまいました。この時期、「処刑」とはあまりにもリアルすぎるというので放映が中止になったんです(苦笑)。
折元:そうそう。ニュースで放映されることになってたのですが、どうなったかというと、向こうから断りの手紙が来ましてね。上に話したら、それはまずいということになって。外国の人質が処刑されたたりした後だったんだよね。
ーニュースで放映されることになってたのが没になったのはある意味、勲章みたいなものかもしれませんね。たしかに、この作品には、時代を取り巻く状況ともシンクロしたシリアスな面もあるのですが、折元さんが仕掛けるパフォーマンス自身には、いつも、なにか人間的な暖かみとかおかしみだとかですね、そういう人間的なものを感じさせるところがあります。この作品もそういう面があったと思います。
折元:そうですか。さっきここで中学生の女の子たちが展示を見ていたんです。彼女たちはこれを見て、キャーキャー笑って騒いでいました。「処刑」と言われるとぞっとするところがあるかもしれないけど、見てると感覚的に面白いのでしょうか。その反応はとても嬉しいです。ただ僕ははっきり言って、日本では無理かなと思ったんですよ。特に直接的な表現だからね。日本ではさっき言った評論家が「いや、ちょっとこれは……書けない」とか言いましたよね。でも、僕はね、日本人の人が生きる力をもっと強くしてもいいと思うのね。この国は弱い! 僕は、日本も、僕はこういう作品みたいに、言いたいことを言ってもいい時期に来ていると思う。それは日本では売れないかもしれない。それでもいいんです。外国でヨーロッパで売れる可能性が大いにあるのですから。僕は61歳になったんだけど、やっとだんだん売れるようになってきた。だから、自分はこういうものをやりたい、こういう意見を持っている、自分の作品はこうだと。それが日本で万人に受けなくたって、自分の強い意志を持てば必ず世界で受ける。そのポリシー、自分のオリジナリティ、自分の強く生きようとする意見。そういうものを持った作品が、これから僕は伸びていく思っています。それが世界に通用する、最低の条件だと思っています。


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