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ARTIST TALK_作家トーク

作家トークNo.5 北野謙(2)「人間てすごく曖昧で、脆くて、小さい存在だということを見つめたい…」

ー「溶游する都市」の頃は悩みが深かったご様子ですね。ところで、方法やテーマは違いますけれども、ここにすでに「our face」とも通じる朦朧としたイメージの質感が出ています。これはどういうことでしょうか?

北野:これは写真をやっていらっしゃる方はおわかりになるでしょうけれども、人ごみなんかもシャッターが長く開いていますので、流れ、どろっとした感じに写りますね。本来人を撮るというのは、きっちり輪郭を描いてその人となりを照らし出すような、そういうフォルムを印画紙に留めるというのがセオリーだと思うんですけれども、自分自身を含めて人間てすごく曖昧で、脆くて、時にすごく小さい存在だということを直接的に見つめたいという気持ちが、この頃強かったんです。こういうスローで撮って、どろっと無機的な風景が有機的に見えてきたり、人の存在も本当に溶けてしまったりするんですけれども、その中にとても水の一滴じゃないですけれども、小さくて曖昧だけれども確かにそこに人が存在している、自分自身もとても曖昧で小さい存在だっていう、そこが逆にリアルに見えてきて、こんなふうに曖昧さをそのまま表現にしてもいいんだという、その辺がここで僕はちょっと…。

ーその辺でこの「our face」とも通じてくるわけですね。人間の存在というものを、写真で克明に撮ったらたしかにはっきり写っていて、かっこよかったり美しかったりするわけですけれども、それも人間の存在の一つのあり方だけれども、もっと全体的に考えた場合にそういうものではないと。不安定で曖昧で。

北野:そうですね。こういうふうに見えたということが僕自身にとっても大きかったし、写真独特の方法で、そんなふうなリアリティに届いたということが。確かに自分は生きているというような、若い頃に欲しがっていた実感みたいなものが、写真を介して手に入ったというか実感がありました。

ーところで、集団の顔を重ね合わせて出来た写真ということで、担当学芸員の僕はよく、「平均の顔が出てくるんですか?」とお客様に聞かれることがあるのですが、どうなんでしょうか?これは平均的な顔と言えるのでしょうか?

北野:ある意味で平均値的という解釈もできると思うんです。ただ、アートで平均というすごく雑ぱくな言葉を使っちゃうと、話はそれで終わっちゃうんで。決して僕は、平均を出そうという気持ちはあまりないです。ただ、そういうふうに見えたらそういうふうに受け止めてもらっても構わないですけれども。会って大切な一つ一つの存在を少しずつ重ねていくという、そこに僕の中では大きさがあるので、現れてきた像、ここだけ見ると平均値も絡んでいると思うんですけれども、もっと背景だったり…。

—活動も含めて、ということでしょうか。取材したり、存在している人に出会って行く。

北野:そうですね。平均値、平均顔という話でずいぶん取材されてきたんですけれども、難しいんですよ。僕は、この一つ一つの素材の括りが小さければ小さいほどいいと思っているんです。武蔵小杉の駅前の居酒屋で毎日酒を飲んでいる人とかって、パッとだいたいイメージできますよね。それぐらいがちょうどいいんです。それが日本人とか、大和民族とか、どこそこの集落のとかというと、とても危険なイメージに暴走する可能性が高まってくるので、やはり分けたり、区別したり、差別したりになるのは、とてもちょっとした差なんです。だから、違う文化をもっている人を糊代のようにつなぎ合わせたり、シャッフルするような、そういう表現になっていけばいいと思うんです。結構、メールでそういうどこそこ民族の写真を作ってくれとか、罪を犯した人のとかね、依頼で来るんですが。それはそれで興味もあることかもしれませんが、どこかちょっと別なポジション、安全地帯から一定の人たちを何かの射程距離から見るという眼差し、それには僕はあまり興味ないのです。

—具体的な仕事の場だとか、重要なのはそういうところでしょうか。平均値的なものを取るためにやっている作業ではけしてないんですね。

(聞き手 当館学芸員 深川雅文)

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