被災収蔵品処置の記録 ―収蔵品を追う― 「民俗資料の錆止め」
■資料概要と被災状況
民俗分野では、農具や漁具、大工道具などの仕事で使う道具のほかに、日常着や振袖などの衣類、皿や茶碗、鍋や羽釜などの生活用品、御札や掛軸などの信仰に関する資料など、形態も材質も様々な資料を収蔵しています。2019年、川崎市市民ミュージアムは令和元年東日本台風により収蔵庫が浸水被害を受け、当時収蔵庫で保管していた上記の収蔵品の多くに泥汚れが付着し、カビが発生している状態でした。
2020年1月より民俗分野の被災収蔵品レスキューを開始します。資料を収蔵庫から搬出しながら刷毛やブラシを使って水で洗浄し、一度乾燥させ、その後カビを殺菌するために約75%のエタノールを塗布しました。燻蒸を行い、現在は外部倉庫へ搬出して保管しています。民具資料の被災収蔵品レスキューについては、書籍『水害と博物館』に掲載しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。
■錆止めをするに至った経緯
被災収蔵品レスキューでは資料の洗浄を優先していたため、その後、資料の状態を十分に把握できていませんでした。資料管理をする上で、状態を把握しておくことはとても重要です。洗浄が落ち着いた段階で、外部倉庫へ赴き、被災した資料と元からあるリストとの突合せをしながら、洗浄後に劣化や破損がないかなどの状態確認も行いました。
その中で目についたのが、金属が使われている農具や大工道具などの資料から錆が出ていたことです。金属も鉄、銅、錫、真鍮など様々ですが、とりわけ鉄の錆が顕著で、鉄の部分が赤茶色に変色し、資料の周辺にパラパラと錆が落ちている状態でした。

△洗浄後のセンバコキ。歯だけではなく、釘にも錆が出ている。
その一例として、センバコキをご紹介します。センバコキは歯の間に稲を差し込み、引き抜くことで稲穂から実を落とす道具で、社会科の教科書で名前を目にしたことがあるのではないでしょうか。その歯の部分を見ると、錆によって赤茶色に変色しています。これは錆が進行している証拠で、赤茶色が鮮やかであるほど錆が進んでいる状態です。
錆は木や布に付着すると錆の色が残ってしまうだけではなく、そこから欠損することもあります。錆が周囲の資料に影響を及ぼす可能性は大いにありましたが、確認しているその場では鉄の部分を薄い紙で覆ったり、茶紙をかませたりして、資料同士が直接触れ合わないようにすることしかできませんでした。
錆に対処するべく、民俗資料の被災収蔵品レスキューの際に手順等をご教示いただいた国立民族学博物館の方々に錆止めの方法を教えていただき、鉄が使われている資料の錆止め作業を行うことになったのです。
■錆止め
錆の進行を抑える方法には薬品を使うやり方もありますが、今回教えていただいたのは不乾性油を使った錆止めの方法です。錆は、金属についた水が空気に触れることで起きる酸化という化学反応から生じますが、不乾性油を使う錆止めは鉄に油を塗って膜を作り、空気に触れないようにすることで酸化を抑える処置になります。
不乾性油とは、酸化しにくい油のことです。代表的なものは椿油で、日本でも古くから髪油や金物の錆の手入れに使われていますが、当館の錆止めでは比較的安価で入手しやすい精製オリーブ油を使いました。調理用オリーブオイルではダメなのかと思う方もいるかもしれませんが、調理用のものは不純物も含まれており、さらなる資料の劣化の原因となる可能性があるため、錆止めの作業では不純物を取り除いた精製オリーブ油を使用しています。
錆止めの工程は、錆落とし、油の塗布、油のふき取りの3つです。
①錆落とし
錆落としとは、破片の吸い込みを防止するためのネットを吸い込み口に張った掃除機で粉塵を吸い込みながら、錆ででこぼこになっている面を豚毛のブラシや油彩筆で擦り、のっぺりとしたマットな状態にする作業のことです。錆が出ている状態で精製オリーブ油を塗っても、錆の凸凹に油がたまり悪化する可能性があり、効果が薄くなるため、油を塗る前にまずは可能な限り錆を落とす必要があります。
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| △錆落としの様子 | △擦るとザラザラした表面がのっぺりとする |
そのときに使うのが、しなやかさと硬さのある豚毛の竹(たけ)楊子(よこ)ブラシと油彩筆です。基本的にはブラシを使い、つぶれるくらい強く押し付けながら擦っていきます。たまにテカテカした光沢のある錆が出ていることがあり、そうした部分もブラシの縁で削ぐようにして極力落としました。ブラシは18㎝、24㎝、30㎝くらいのものをそれぞれ用意し、鉄部分の大きさによって使い分け、鍋や釜などの大型で全面が鉄でできているものの場合は、たわしを使います。
センバコキやクワ、カンナなどの道具には、歯や、鉄釘、ナットなどの細かい部品があり、そうした部品はブラシだけでは錆を落としきれないため、油彩筆で錆を落とします。これもブラシ同様に12号、18号、24号くらいの太さのものを用意して、部品の大きさによって使い分けました。このときに筆の先端を切っておくと使いやすいので、何本か用意しておくと便利です。錆落としの際に木の柄などの木製部品があるものは、木をブラシで擦らないように注意しながら、鉄部分に出ている錆を全て可能な限り落とします。
② 油の塗布
全体的にのっぺりとした状態になったら、平筆や面相筆を使って精製オリーブ油を資料に塗っていきます。精製オリーブ油は不乾性油なので酸化はしにくいですが、空気に触れれば少しずつ酸化するので、カップに少しずつ移しながら使います。オリーブ油を塗るときは、基本的に平筆を使い、全体にやや光沢が出るくらいを目安に塗り、ちゃんと塗れているのか分かりづらいときはライトで照らして、塗り残しがないよう注意しました。
釘や留め具のような細かい部品や、柄などの木製部品と接触している部分を塗るときは、細い面相筆を使います。このとき特に気を付けなければならないのが、木製部品との接触部分です。
塗った油は徐々に滲んで広がっていくので、接触部分の際(きわ)まで塗ると、翌日に木製部品まで染み込んで油染みになり、なおかつ取れません。本来付いていなかった痕跡を後からつけてしまうのは、資料の保存上好ましくないため、接触部分は面相筆を使い、際から1㎜~2㎜程度のところを残して塗るようにすると、翌日には油が程よく広がります。
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| △精製オリーブ油を塗布する様子 | △細かい部品や木製部品付近には面相筆を使う |
オリーブ油を塗り終わったものは、風通しの良い場所に置きます。置き場には、段ボールやエアキャップなどを敷き、滲んだ油が溜まらないように新聞紙などの吸い取り紙の上に資料を並べました。このときノコギリなどのように、置いたときに地面との接地面が多いものは、柄に枕木をかませて置きます。風通しの良くない場所では、資料に埃が付着し、そこから劣化につながる可能性があるため、そうした場所しか用意できない場合は、資料の上に薄葉紙や茶紙などを被せました。そうすると、埃除けにもなり、油も適度に吸ってくれます。
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| △塗布後の資料 | △ノコギリには枕木をかませる |
③ 油の拭き取り
オリーブ油を塗った翌日から、キムワイプやケイドライなどの毛羽立ちの少ない吸い取り紙で浮き出てくる余分な油を拭き取ります。オリーブ油は塗る量が少ないと十分な錆止めの効果を期待できないため、少し多めに塗っています。その分、余分な油が出てくるので、それを拭き取りながら程良い加減にする必要があるのです。
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| △油を拭き取る様子 | △拭き取りながら、新聞紙を交換する |
油のふき取りは塗ってから1週間のうちは毎日1回行い、擦ると紙のくずがついてしまうので、優しくポンポンと当てるように拭きました。このときに油を塗るのに使った筆の毛が付着している場合は、埃同様、劣化につながる可能性があるので取り除いておきます。下に敷いている新聞紙も、油がたまっている場合は新しいものに交換しました。
1週間経過した後は、週に1回の頻度で拭き取りを行い、約1ヶ月程度、油が馴染むまで様子を見ます。油の量が多いと2ヶ月ほどかかる場合もありますが、拭き取る紙に油が付いてこなくなるくらいがふき取りを終える頃合いです。

△錆止めを終えたセンバコキ。歯の色味が随分と変わったのがわかる。

これが錆止めをした後のセンバコキです。赤茶色だった歯が、湿ったような黒っぽい色になっているのが分かると思います。これで、ひとまず錆の進行を抑えられた状態になりました。しかし、この錆止めはあくまで錆の進行を抑えることが目的で、進行を止めることはできません。処置後に錆が出てくることも十分考えられるため、今後も継続して経過を観察することが重要です。
この錆止めは手順を知り、道具が揃えば、鉄を含む資料であれば被災の有無にかかわらず誰でもできる方法ですが、当館では錆落としをしても破損しない資料を対象に行っています。錆で脆くなっているものは錆落としの段階で破損する恐れがあるため手を付けられていませんが、そうした自分たちで処置しきれないものについては、修復の専門家に依頼するという判断も必要です。
現在でも、被災した資料の錆止めは全て終わっていません。被災の有無にかかわらず、資料を後世に残していくことは私たちに課せられた重要な使命の一つです。そのために今後もレスキュー活動を継続し、ときには専門家に助力いただきながら、活動を続けてまいります。
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