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ARTIST TALK_作家トーク

作家トークNo.9 高橋万里子(1) 「よく、月光で撮ったんですか?って聞かれるのですが…」

ー今日のゲストは、高橋万里子さんです。高橋さん、よろしくお願いいたします。今回の展覧会の展示作品「月光画」についてお聞きしたいと思います。タイトルがとても魅力的なんですが、どういう作品なのでしょうか?

高橋:よく、月光で撮ったんですか?って聞かれるのですが、そうではなくて、「月光画」という抽象的なイメージで、月光のイメージ──満月の夜に犯罪が多いとか、事故が多いとか、狂気のイメージとか、女性の月経とも絡めて女性的なイメージとか、そういう抽象的なタイトルとして「月光画」と付けました。個人的なことですが、私は30代になってから、人の儚いところとか、脆いところとか、不安とかそういう要素が気になってきました。20代の頃は食べ物とかをぐちゃぐちゃにしたキッチュで混沌とした作品を撮っていたんです。「ニジノハラフワ」という作品ですね。そこからコロッと普通にシンプルに人とか物を撮っていく作品に移行したのです。亡霊のような姿とか、人間を撮ったりとか、逆に、人形を人のように表情とか出したような感じで撮ったりとか、今度は、花を、どれも同じような等価な距離で撮ったりしてみて、ひっそりした存在感でとらえてみようとした作品です。みんな自宅で撮っています。

ー高橋さんは自宅以外では撮影されないのですね。少しだけ高橋さんのこれまでのお仕事を紹介させていただきます。最初、お母様の非常にインパクトのあるポートレートを発表されました。最初の重要な作品になるわけですが、どういう作品だったのでしょう。

高橋:なにか人を撮ってみようと思ったときに、身近にスッと撮れると思ったので母親を撮ったんです。ちょっとうつろな表情というか、空虚な表情で、ブレたり、ボケたりしている表情を撮りました。デイライトのフィルムを使って、室内で普通に本を読むときのスタンドを使っているので、色味もくすんだような感じになっています。基本的な撮り方は今回の作品と同じですね。

ーそれから、「ニジノハラワタ」という作品が来ます。これはどういう作品ですか?

高橋:ゼリーですとか食べ物をグチャッと置いて──カメラを固定して、そこを画面と設定して、食べ物で描くような感じでした。ベタベタしたり、グチャグチャしたりした触感的な作品です。

ーペインティングじゃないですけど食べ物をいわば絵の具のように使った作品でした。この時はピントも鮮明に写していました。

高橋:パウダーとかの粒子が見えるような感じで、はっきり撮っています。

ーそこから、「月光画」のような茫洋とした世界に移行するわけですね。「虹のはらわた」と比べると、だいぶ世界が違うなという感じがします。

高橋:自分が最初に「ニジノハラワタ」シリーズを始めたときは20代の前半で、食べ物を食い散らかすじゃないですけど(苦笑)、ザクザクと食べ物を使って、混沌とか、ある種のどうしていいかわからないようなものを作って、それを若いエネルギー一杯で撮っていました。カラフルでキッチュでっていう世界が自分と合っていたと思います。で、だんだん年を重ねるにつれて…まだそんなに年でもないのですが(苦笑)…フッと、ガツンガツンといくっていうものづくりから、自分がちょっと離れていくというか、自分の気持ちも沈む時期があるし、周りでも自律神経失調症とかうつになった知人がいたというものもあって、自分の状態が「ニジノハラワタ」と離れてしまったなというのが正直なところでした。それでコロッと出会ったように出てきた表現が今の作品に繋がってきました──

ーこのシリーズの一番最初の作品は、どういう作品だったのでしょうか?

高橋:母親のポートレートとリカちゃん人形、それらを同じような距離で撮った作品を交互に並べて、組写真として並べたものですね。横浜BankARTで2005年に発表しました──

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川崎市市民ミュージアムでの展示風景 撮影: 高橋万里子


ー写真というと、ハッキリクッキリ写すのがよいと一般的に考えられているのですが、高橋さんのこの作品は、逆にボケたりとか、ピントが合っていないというイメージが目立つわけですけど、これはどういう意図なのでしょうか?

高橋:うーん、自分がものに近づいていくときに、手探りで近づいていくというのが感覚としてあります。私はデザイン科を受験したんですけど、その時、石膏デッサンが試験としてあるました。描いていくにもボヤボヤボヤボヤ……って描いたり、消したりしながら像を見つけていくっていう、そういう要素ってのが元々自分の中にあるようなのです。人と近づく距離ってのも、バンと出会っていくんじゃなくって、手探りで、なんとなく描いていくこと、そういうのに割と合っていますね。かつては石膏デッサンでやっていた迫り方が、写真でやるとこういう形になるってことなんでしょうかね。

ーただし、石膏デッサンのときは目の前で形が見えるわけですけど、実際写真に撮っているときは見えませんよね。写真の場合はね、現像してみないとわからないってところが多いわけで…。


高橋:写真で面白いのは、「ニジノハラワタ」シリーズだと上がりが想定できたのを、今のシリーズだと、ボケ方の加減とかブレ加減とか、いろんな種類をやっているので、たいてい撮るときは10本以上撮りますね。60枚……。どれがどれだけブレているかわからないので、写真が上がってきたときにもう一度「出会う」というか──

ーとなると、かなり膨大な数を撮られるわけですね。

高橋:そうです。でも選ぶのは、限られていて、あまり生身っぽい人間ではなくて、ぼやけすぎているのでもなくって、ちょうどいい頃合いというか、ちょっと亡霊になりかけている(苦笑)というか、儚いけれども、少しふてぶてしさもあって、ユーモラスな感じもあってとか、すごい自分の中での加減ははっきりしていて、それに合うものを選んでいくんですけど、それが、選んでいくってことがすごく重要になっていますね。

ー普通の写真のポートレートというと、しっかり、はっきり撮って、その人の姿かたちがよく見えるようにっていうのが普通なんですけど、高橋さんのポートレートは、それとはちょっと別の方向に行っています。逆にいうとそこに人間の存在のあり方というか、よりリアルな存在のあり方があるんじゃないかなと僕は思うのです。あるいは植物のあり方、人形のあり方でもいいんですけど──

高橋:なにか自分にとって描きたい人間とか、見つけてみたい人間の像っていうのは、やっぱりそういうボケた写真の中に出てくる、そういう儚さというか、すごいボヤボヤと立っているっていうものなのです。

ーボヤボヤですか。面白い表現ですね。

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