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ARTIST TALK_作家トーク

作家トークNo.4 三田村光土里(2)「人が足を踏み入れられるドラマ…」

ー今回の作品もそうですが、三田村さんの作品には、「試み」というか「企み」といった方がいいかもしれませんけどそういう仕掛けがあって最終的にこういう展示空間の中で表現されるという形をとっていますよね。ですから、いわゆる「写真家」として写真を展示しているわけじゃなくて、空間とその仕組みのなかに写真が重要な部分として入ってくるという使われ方をしていると思うんですけど、写真というのは三田村さんの作品づくりのなかでどういう役割を果たしているんでしょうか?

三田村:私がいつも作る作品というのは、空間の中で、三次元の中で、写真だけでなくていろんな素材を使って展示する場合がほとんどなんですけど、「人が足を踏み入れられるドラマ」っていう、自分のなかでテーマというかキャッチフレーズを意識していまして、足を踏み入れられるドラマってどういうことかというと、たとえば映画を見たりとか、三次元というと舞台を見たりとか、そういうものって、中で行われていることは三次元的なことであっても、自分の中にはもうひとつ、向こう側で行われているメディアっていうのがあって、そうじゃなくて実際に足を、見る人が踏み入れてそこの空間で何かを感じ取れるドラマというのを作りたいなと思っていますね。たとえば空間を本にたとえると、写真はその中の挿絵のようなものというか、そういった形で使っているんですね。で、ひとつひとつには説明がないけれど、写真を見ることで全体のストーリーが伝わってくるような、そういったものを意識しているのかなと自分で最近ようやく思うようになりましたね。

ー今おっしゃったように、テレビとか映画だと、たしかに映像でいろんなストーリーが展開するけど、それはやっぱり、対象としてあるわけですね。それに入り込むという形ではなくて、それを距離をもってみて楽しむ形ですね。写真というのはそこの通り抜けができる力を持っているというわけですよね。

三田村:通り抜けというのは?

ー開かれていて、そこに物語を自分で投影していったりすることができるということです。三田村さんの作品を拝見していつも感じているのは、そうしたドラマを呼び起こす力が仕込まれていて、作品を見る人になにか大切な記憶を呼び起こすっていうか、そういう力をものすごく感じて、そこでその中に引き込まれていくような感触がするんですけれど……

三田村:記憶っていうのは、みんなそれぞれさまざまで、その人の人生体験によってみんなそれぞれ違うと思うんですけど、その中で特にみんなが共有しうる記憶っていうのは、みんなが生まれた環境、国、時代にかかわらず、もっと基本的な生活、日常生活の中で人間の感情に関わる部分の記憶というのはあまり変わらないと思うんですね。たとえば、千年前の恋愛小説とか、今でも読んでも全然わかるんだけども、時代のこととか世相について書かれていると、10年前のものでも古くて読めなかったりとか、そういう、簡単に言うと恋愛小説みたいに、みんながどの時代にいても共有できる記憶っていうところを扱っていきたいなというのと、私が普段、そういう身の回りの半径何メートルのことしか扱えないかもというところもありますけど、その中で、なんで写真なのかということをよく質問を受けるんですけど、写真というもの、存在そのものがすごく重要と思います。

余談なんですけども、最近ピンホールカメラで撮影をする仕事というかプロジェクトに参加しているんですけれども、(正確には)ポラロイドですね。で、ピンホールカメラを選んでみたら、レンズもファインダーもないんですね。ほんとに箱に穴が開いていて、そこから光を拾って、乳剤を塗った感光紙に焼き付ける作業というのが、古い歴史をひもとくと写真の根源、カメラができる前の写真というのが……合っていますかね?(笑)。で、人が乳剤というものを発明してでも、目の前にあるものを何かに焼き付けておきたいというその執念というか、人がそうしたいという感情にすごく興味があって、その後だんだんカメラというものができて、なんとかそれをよりきれいに、感光紙に焼き付けていきたいっていう歴史があるわけです。写真ができる前はもちろん絵だったわけですけど、自分たちの生きている意味、ものを何かにとどめておきたいという、人の自然な意思、欲求を実現するためのツールとして写真というのがすごく大切だと思います。だからこそ、今もみんなが共有できる素材だと思うのです。撮った写真がいいとか悪いとかいう評価をアーティストや作家みたいにされなくても、写真を撮る感情はみんなが共有できるんで、そういう意味で私にとって大事なものですね。

(聞き手  当館学芸員  深川)

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