写真ゲーム

ARTIST TALK_作家トーク

作家トークNo.2 石川直樹(2)「今いる現実が日常で旅先が非日常という感覚が全然ないのです」

ー旅と写真についてお伺いしたいのですが。旅と写真は写真が発明された直後から密接な関係にありました。旅しながら作品を作る重要な写真家が歴史を振り返るとたくさんいらっしゃいます。石川さんの仕事もその系譜に連なると思いますが、これまでの旅の写真家の仕事と比べると旅の仕方が石川さんならではの旅の仕方であり、写真の質も違うように感じられます。たとえば、日本の写真家の方でいいますと、アフリカ大陸やイスラム圏を旅してドラマチックな写真を発表されてきた野町和嘉さんや東南アジアを旅して写真の仕事にされた藤原新也さん、あるいは「センチメンタルな旅」の荒木経惟さんなど素晴らしい仕事をされた写真家がいらっしゃいますが…石川さんの写真には外国に行きながらも野町さんや藤原さんの写真とは異なる新しい感覚が感じられるように思うのですが、ご自身ではどのように思われますか?

「そうですね。野町さん、藤原さんなど大先輩の方々と違うのは、旅すること、外の世界に出ることが、昔と違ってだいぶ容易になってきていますよね。そういう状況と関連すると思うのですが、僕のなかでは、今いる現実が日常で、旅先が非日常という認識が全然ないのです。旅先でも今までの日常が続いていくような、そんな感覚です。今までの旅の写真がとってもドラマチックであったり、悩みや迷いを抱えての自分探し的な雰囲気をもっているとするならば、一方で自分の写真にはそうしたものは非常に希薄です。僕は東京で生まれましたが、世界を歩くことも身近な街を歩くことも、僕にとってはまったく同種のことでほとんど変わらないんですよ。」

ー先史時代の壁画への旅で歩くのと、自分の生まれた街を歩くのとがそんなに隔たったものではないと…

「自分の街というとあまりにも近いかもしれませんが、例えば隣町にいくような心持ちで知らないところを歩くという感覚です。登山や遠征などにしても、挑戦するといった意識は全くなくて、たんにあっちに行ったら何があるのだろうかという自分の好奇心によって日本も世界も隔てなく歩き続けてきたつもりです。」

ーでは、極端な言い方かもしれませんが、エベレスト登頂も富士登山もそんなに変わらない、と。

「うーん(笑)、そこまでいくと、結構ギャップはあるかもしれませんが、自分のなかでは○○に行くから気合いが入って、△△だから気合いが入ってないということはないのです。いつも同じように目を巡らせながらカメラを携えて新しい世界と出会っていくという感覚が強いですね。」


石川:野良牛.jpg

パタゴニアのシリーズの最後の部分 「野良牛」が振り返る写真で締めくくられる

ーさて、最後に「New Dimension」に戻りますと、展示されているパタゴニアのシリーズを締めくくる牛の写真がとても印象的なのですが…撮影している石川さんを振り返っているような牛の写真です。

「先史時代の壁画がある場所は、今では人里離れています。そうした環境によって守られているところもあるわけです。ですから、この場所で見かけた牛は、放牧されているような状況ではなく、野生化した牛だと思いますよ。

ー野良牛ですね。

「そう、野良牛です」

ー隣街感覚で世界の各地を撮っているとおっしゃったさきほどのお話しも踏まえてみますと、この野良牛の写真は石川さんがカメラを携えて行う世界の旅のあり方を象徴的に示しているような写真に思われます。隣町の路上で撮られた野良牛のように感じられるからです。この展示の最後を飾るにふさわしい写真なのかもしれません。どうもありがとうございました。

[トーク後記] 聞き手である筆者[深川]にとって、この最後の牛の写真がなぜ印象的だったかというと、森山大道の代表作である青森県・三沢の野良犬の写真(1971年)を連想させたからである。森山の野良犬も石川の野良牛も同じような振り返り方をしている。このことと、石川氏にとってはパタゴニアの地も生まれた街の隣街の知らないところを歩いているような感覚でいるという発言がどこかで響き合っているように感じられた。森山大道が、見知らぬ街、三沢をさまよい歩きながら、あの振り返る野良犬を撮ったように、石川にとってもパタゴニアは、遥か彼方に位置する場所であるにもかかわらず、見知らぬ街に近いものであり、その路上で振り返る牛に出くわしたような感覚があるからである。森山の三沢の犬と石川のパタゴニアの野良牛、その目つきは異なるが、写真家の出会い方には等質なものが感じられた。森山さんは、この牛をどのように見るのだろうか、聞いてみたいものである。

●コメントを書く

CATEGORY

ARTIST TALK_作家トーク