写真ゲーム
ARTIST TALK_作家トーク
作家トークNo.3 屋代敏博(1)「対象に依存しない写真ができないか?」
屋代敏博は、世紀の変わり目となる2000年に自らが作家として大きな転換を果たした。アイルランドのベルファストに滞在中、風景の中に自らの回転する姿を写し込む作品を制作した。これがそれから今日までさまざまなかたちで展開してきた「回転回」の原点である。翌年の2001年早々に、彼は文化遺産に指定されたフランス・ロワール地方の古城をテーマにした写真作品の委嘱を受けたが、その際に、城の建築空間内で回転する自らの姿を入れ込むアイデアを提案し、実践して作品を制作した。この作品が高く評価され、「回転回」は大きく飛躍することになった。
2001年のフランスでのプロジェクトの作品が5点展示されている。奥のモニターは「回転回 LIVE」の映像記録。撮影: 屋代敏博
屋代は、1996年に作家として初の個展を行う。それは、学生時代に始めた「銭湯」のシリーズであった。消え去りつつある日本の銭湯を、男湯と女湯それぞれに克明に撮影しふたつを合わせた形で作品とした。その後、4年の間、作家として地道に発表活動を続けていたように見えるが、振り返ってみると葛藤の時期でもあったと言う。写真家がいて、カメラがあって、その先に被写体となる対象がある。この構図のなかでは、写真家はつねに対象に依存する関係を持ち続ける。この二項関係は、言葉を変えれば、主体と客体という西欧近代哲学の世界観の根底となる理解の枠組みに由来するものであった。19世紀半ばに生まれた写真も、この枠組みの上に利用され発展してきた。屋代はこの関係自体に疑問を投げかけながら写真家としての試行錯誤を重ねていた。その営みのなかで生まれたのが「回転回」である。屋代の言葉を聞いてみよう。
「写真をとるにあたって写真家として行くと対象物が必ずあります。対象に依存しない写真はあるのかなと思ったときに、自分がこちらにいて向こうになにかがあると必ず対象ができるわけです。逆にそれを無くなすために自分がそっちに行ってしまえばなくなるかなと思ったのです。」
「美術館・博物館」のシリーズ(右側)。美術館・博物館の作品や資料の空間のなかに、自らが色として溶け込んで行く。左側は「訪問撮影」のシリーズ。撮影: 屋代敏博
実は、屋代は、自分が回転して写真に入り込むずっと以前、すでに学生時代から、写真と写される対象のあり方について考え始め、回転の写真実験を行っていた。
「写真について、いろんなことを考えすぎて頭の中が複雑になってしまっていました。でもそれは自分の考えの問題であるだけで、なにか解決する方法があるはず。見ているものが難しいから、頭のなかも複雑になっているのではないかと思いました。もっと単純に物事を見ることができないのかと考えました。見るものが単純になれば頭の中も難しくなくなるのではないか。結局、ものの姿形がみな違うから頭の中まで違って、複雑になって難しくなっている。
これをクリアーにする方法がないのかと思っていたらひとつ方法を見つけました。モノを一回転回せばすべて同じ形になるということに気づいたのです。レコードプレイヤーの上にモノを乗せて回して写真を撮ってみました。三脚にカメラを据えて構え、鉛筆をおいてクルっと回転させる。消しゴムを置いて回転させる。マヨネーズも、あじの干物も。みるみるみるみるちがう形のものが同じ形に見えてきます。そうするとすごくすっきり見えてくる。ひたすらモノを回転させる写真を撮っているうちに、あるとき、自分を回転させたら丸くなって同じになるのではないかなと思いました。そして、向こう側で回ることにした。実際やるのにひとつ壁があったけど、向こう側に飛び込んでいった。そこに至るまでには結構、時間がかかりましたが、丁度、世紀の変わり目に回り出したんですね。そうしたら面白くて面白くて、その面白さを多くのひとに伝えたいという思いが強くなりました。
さらに、2005年の横浜トリエンナーレのときに、いろんな方と一緒に回転回をやってみませんかというお誘いがありまして、回転回は他の多くの人々を巻き込む写真プロジェクトに発展していきました。最初は参加する方々がどのように感じるのか疑心暗鬼だったのですが、やってみたら、僕だけでなく、参加者の皆さんもとても面白がってくれました。」
こうして、屋代の写真の仕事は、モノを回して撮る写真を発端にして、写真の中に自らが「回るヒト」として飛び込んで行く「回転回」へと成長し、さらに一人で回るプロジェクトから、他者も巻き込んで回るプロジェクトへと展開し、「招待撮影」、「訪問撮影」そして「美術館・博物館」シリーズへと可能性を広げていった。
文:当館学芸員 深川雅文


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