写真ゲーム
ARTIST TALK_作家トーク
ーこれまで植物をテーマにされたことは?
高橋:女性と友人とを組み合わせて、その間にポンポンポンっと(植物が)交互に入ってくるような展示をしたことがあります。
ー写真の大きさも、同じ大きさでその組み合わせに入ってくるわけですね。
高橋:そうです。撮っているのは、自分のお風呂場に置いてある、植木鉢で育っている植物なんです。このシリーズを始めたとき、撮影の準備になるべく手を加えずに、引き算でいこうと考えました。ライティングは家で使っているスタンドを使っているし、植物にしても、自分が(撮影用に)準備した植物ではないものを使おうとしたりして、それで、しっくるくるというのがあって──
ーほんとに身近なものなんですね。
高橋:ものを撮ろうと思って買い物をしてきたりすると、あんまり良くなかったりします。植物のディティールが面白いと思って買ったものが、撮ってみるとそうでもなかったり。ちょっと作りすぎてたりとかして。人を並べたのと同じ壁面に置いて撮るので、その壁のディティールに合わないというか──
ーなるほど、撮るものは違っても壁は同じなわけですね。
高橋:狭い部屋なので、大きく使える白い壁がここだけという。シミとか、ちょっとしたボコボコ感とか、そういうのがけっこう出ています。
ーこれはご自身のスタジオというわけではなくて、普通のお部屋なんですか?
高橋:はい、壁もなんとなく、暮らしているうちに薄汚れてきて(苦笑)、あっという間にシミとか、そういうのが増えてくるんですけど、それでもいいかなと。日常の中でひっそりできてくるみたいな感じを大切にしています。やる気満々で、準備をして、仕込んでっていうのではない方がしっくりきます──
深川:自然というんでしょうか。それと比べるとなんとなく「ニジノハラワタ」という作品は、よしやるぞっていう。買い物してきたいろんな食べものが──
高橋:ゼリーを買ったり、ヨーグルトを買ったり、キャンディ買ったりって感じで、そういうことからほんとに変わってきてしまったんですね。でもまたここから、攻撃的に何か仕込んでくることになるかもしれません。人のリズムかもしれないですし。
—人形のシリーズのポートレートについてうかがいます。人形は人間とは違うわけですけど、人形は人間のように見せるというわけですか?
高橋:最初の頃は、人形が落ち込んでいるとか怒っているとか、ちょっとパロディになりかけてしまうような、人形に人間の芝居をさせたような写真が多かったんです。結局は、人間を描きたい、人形を撮っているんだけど人間を描きたいというところで撮りました。人形を人間のように撮り、人間を人形のように撮って、合わせて展示したこともあります。そういうゲーム的な要素もあって、どちらが、どちらかにより見えるみたいな形で、写真を撮っていました。
—東京都現代美術館でも高橋さんの作品が見られますけど、こちらには人形のシリーズが入っていますね。
高橋:はい。人形がグラスの中にお風呂のように入っていたりとか、ちょっと不安な要素で表情が出ていたりとかというので部屋を構成していて、通路を通っていくと、母の巨大なポートレートがあります。それは像になりきらないような人間の姿です。母親ですけれども、距離的には人形を撮るのも母親を撮るのもそんなに変わらない、私の中で違いがないのです。
—そこが高橋さんの見方の面白い特徴ですね。基本的には人間だけじゃなくて人形と合わせたりとか、今回の展示もそうなんですけど、植物があって、男性の肖像画があるけど、作家のアプローチとしてはどちらも同じ態度ですよね。
高橋:同じ距離感で撮りたい、扱ってみたいというのがありますね。
—ポートレートの方に行ってみましょうか。実際撮るときは、手持ちで撮られるわけですか?
高橋:はい。三脚とか使わないで、明かりは普通に自分が本を読むときなどに使うスタンドで、下から照らして、首が動くスタンドで、カメラは手持ちで撮ります。
—それで影が上の方に写るんですね。
高橋:そうです。壁は自宅の壁です。いつも同じところを使っています。
—タングステンのライトを使ってらっしゃるのであまり光量が無く、シャッタースピードが早く切れないわけですね。それからピントの方もやはり、その人の顔にしっかり合わせるというか…
高橋:けっこうボカしているんですけど、すごくボカしているのと、そんなにボカしてないのと、撮っている間に何度も何度も行ったり来たりをしてやってます。ピントを合わせたつもりがブレていたりとか、ボケていたりとかあるので、出来あがるまで、どれがどうなるのかなかなかわからないですね。
ー今日のゲストは、高橋万里子さんです。高橋さん、よろしくお願いいたします。今回の展覧会の展示作品「月光画」についてお聞きしたいと思います。タイトルがとても魅力的なんですが、どういう作品なのでしょうか?
高橋:よく、月光で撮ったんですか?って聞かれるのですが、そうではなくて、「月光画」という抽象的なイメージで、月光のイメージ──満月の夜に犯罪が多いとか、事故が多いとか、狂気のイメージとか、女性の月経とも絡めて女性的なイメージとか、そういう抽象的なタイトルとして「月光画」と付けました。個人的なことですが、私は30代になってから、人の儚いところとか、脆いところとか、不安とかそういう要素が気になってきました。20代の頃は食べ物とかをぐちゃぐちゃにしたキッチュで混沌とした作品を撮っていたんです。「ニジノハラフワ」という作品ですね。そこからコロッと普通にシンプルに人とか物を撮っていく作品に移行したのです。亡霊のような姿とか、人間を撮ったりとか、逆に、人形を人のように表情とか出したような感じで撮ったりとか、今度は、花を、どれも同じような等価な距離で撮ったりしてみて、ひっそりした存在感でとらえてみようとした作品です。みんな自宅で撮っています。
ー高橋さんは自宅以外では撮影されないのですね。少しだけ高橋さんのこれまでのお仕事を紹介させていただきます。最初、お母様の非常にインパクトのあるポートレートを発表されました。最初の重要な作品になるわけですが、どういう作品だったのでしょう。
高橋:なにか人を撮ってみようと思ったときに、身近にスッと撮れると思ったので母親を撮ったんです。ちょっとうつろな表情というか、空虚な表情で、ブレたり、ボケたりしている表情を撮りました。デイライトのフィルムを使って、室内で普通に本を読むときのスタンドを使っているので、色味もくすんだような感じになっています。基本的な撮り方は今回の作品と同じですね。
ーそれから、「ニジノハラワタ」という作品が来ます。これはどういう作品ですか?
高橋:ゼリーですとか食べ物をグチャッと置いて──カメラを固定して、そこを画面と設定して、食べ物で描くような感じでした。ベタベタしたり、グチャグチャしたりした触感的な作品です。
ーペインティングじゃないですけど食べ物をいわば絵の具のように使った作品でした。この時はピントも鮮明に写していました。
高橋:パウダーとかの粒子が見えるような感じで、はっきり撮っています。
ーそこから、「月光画」のような茫洋とした世界に移行するわけですね。「虹のはらわた」と比べると、だいぶ世界が違うなという感じがします。
高橋:自分が最初に「ニジノハラワタ」シリーズを始めたときは20代の前半で、食べ物を食い散らかすじゃないですけど(苦笑)、ザクザクと食べ物を使って、混沌とか、ある種のどうしていいかわからないようなものを作って、それを若いエネルギー一杯で撮っていました。カラフルでキッチュでっていう世界が自分と合っていたと思います。で、だんだん年を重ねるにつれて…まだそんなに年でもないのですが(苦笑)…フッと、ガツンガツンといくっていうものづくりから、自分がちょっと離れていくというか、自分の気持ちも沈む時期があるし、周りでも自律神経失調症とかうつになった知人がいたというものもあって、自分の状態が「ニジノハラワタ」と離れてしまったなというのが正直なところでした。それでコロッと出会ったように出てきた表現が今の作品に繋がってきました──
ーこのシリーズの一番最初の作品は、どういう作品だったのでしょうか?
高橋:母親のポートレートとリカちゃん人形、それらを同じような距離で撮った作品を交互に並べて、組写真として並べたものですね。横浜BankARTで2005年に発表しました──
川崎市市民ミュージアムでの展示風景 撮影: 高橋万里子
ー「私の作品を見つけてください」というシリーズは、ちょうど2000年に生まれました。7年前と今との違いを考えてみるとですね、私たちが何か撮影するということに関しましても変化があります。いまやデジタルカメラが普通になってきましたよね。2000年頃だと非常に簡便な「写ルンです」とかがポピュラーでした。今では、携帯電話に付いたカメラでの撮影が普通になっています。そういう変化は、作品づくりに関係しているのでしょうか。
前沢:はい。ケータイもそうですし、コンピュータも浸透してインターネットを介する情報のやりとりが当たり前になりました。こうした変化は写真のありかたに影響を与えています。メディア自体が加工されるものだということ、自分が撮ったものが、そのまま加工なしに提出されるわけではないところにメディアや写真が来ています。たとえば、年賀状作りでは、撮ったものを加工して、自分が一番いいと思う子どもの姿であったりとか、余分なものをカットやトリミングして、いろいろ付けたりして。加工することが前提となって入ってきています。今後は、そういう部分を取り込んでこの作品は成長するかもしれません。時代がすごくデジタルで、自分の家のコンピュータで写真を取り込んで修正するということが当たり前になっているので、写真の現実、リアリティ、写真は絶対的な現実が写されているという前提が既に覆された時代にこれからは入っていると思います。ある意味、写真の面白い時代に入るのかなと──
三回目のワークショップで撮影されたスライドを選び、構成する作業を行っている前沢さん
ーでは、スライド上映の裏側の壁に4×4のグリッド形に展示されている16枚の写真を見てみましょう。
前沢:こうしてまとめてみると、色の要素も見えてきます。個々の写真が色で繋がって行くこともあるからです。一枚の写真にはそれぞれの見え方があると思うんですね。撮った方の考えがダイレクトに伝わっているかもしれないし、たとえば写真に小さく写っている方が知り合いだとしたら、知り合いを撮っているというふうに見えるかもしれないし、たとえば文字に関心がある方であれば、文字が見えるかもしれないし、いろんな要素があるわけですね。しかも全部現実の要素であると。その中で、今回は、たとえば風景が構成された写真を主に選んで展示してみました。
ー16枚のグリッドのなかで、一つ一つの写真が、単独で見るときとは別の見え方、繋がり方が生まれています。
前沢:そうですね。これが絵画だとすると、人物だけ描いてしまうとか、すごく選択肢の中に意味を、エッセンスを濃縮できるので、さまざまな偶然性に、写ったものと他のものが関連して、意味が違うとか、引きずられるというのはなかなかありえない。それが写真の持っている特性であって、写ったものが、たまたま偶然猫が通ったとか、カラスが通ったとか、知り合いがいたとか、ねらって撮ったものの中にもいろんな要素が入り込む。しかもそれが、すべて現実──であるかもしれない──という前提であるものが写真であって、そうした偶然的な要素も作品の中にとりいれています。
ー前沢さんは、小さな頃は絵画少女というか、絵がお得意だったということで、大学では絵画を専攻されているわけですけど、なぜ写真に魅かれたのでしょうか。絵画についてはかなり追求されていたのですよね?
前沢:そうです。絵画は結構徹底してやりました。絵を描く中で、絵画というよりも、美術とは、芸術とは何なのか、社会における美術とは何なのかということを考え始めました。美術の価値観や本質を見ようとしたら、絵画でも写真でも同じことなのです。現代美術、とりわけコンセプチュアルアートの中で、写真とかメディアに対する問いかけ自身が作品に取り入れられることがよくあるのですが、私もそういう同じ思考ラインに立ってやっているというところです。
16枚のプリント作品の前で解説をする前沢さん
ー本日のトークは、前沢知子さんの回です。前沢さん、さっそく今回の作品についてお聞かせいただけますか?
前沢:最初の個展を開催しましてちょうど10年目くらいになるんですけど、私の制作は、当時から一貫したテーマがありました。「世界のあらゆる場所の『隙間』を顕在化する」というテーマです。その「隙間」は、見えるものとか見えないものとかそういうことにかかわらず、人々の意識とか、そういうものを含めたもの、要するに、隙間を顕在化することで、既存の認識を問うということを、10年、変わらずやってきました。「私の作品を見つけてください」も、そのテーマでつくられたものです。
ー簡単に「私の作品を見つけてください」という作品を説明させてください。展示場にカメラが置いてあります。ワークショップのかたちをとって、参加される方が、このカメラを用いて、「私の作品を見つけてください」という前沢さんの指示に従ってミュージアムの館内や館外で撮影します。撮られたフィルムを回収しまして、現像して、前沢さんがご覧になって、そこから作品を何枚かプリントされたり、あるいはスライドという形で上映する。撮られる方は、今回、4コマ。24枚撮りフィルムを使って、一台で6人、カメラ三台使いましたので一回のワークショッブで18人の方が参加されます。複数の方が撮られています。最終的には前沢さんがセレクトして、こういう形で展示されるという形になっています。会期中、3回ですから、合わせてのべ54名の方が参加されることになります。
自作について語る前沢知子さん
前沢:「私の作品を見つけてください」という作品では、「私の作品」と書いてあるので、まずは私自身、前沢自身の作品というニュアンスを鑑賞者の方には強く持たれると思います。しかし、鑑賞者の方が、このフレーズを実際、口に出して言ってみてもらったりするうちに「じゃあ私の作品はどれだろう?」、「"私"って何だろう?」というような疑問も生じてきます。この時点で「作家」であった「私」が「鑑賞者」の「私」自身に移り変わるような事態が起こるわけです。「私」という言葉自体が持つ特性がこの作品には用いられています。ゲーテの言葉を借りますと、「私」の二つの要素として、普遍的な「私」と、個人としての「私」、要するに、「私」という言葉は、自分と他者、すべての人間にも当てはまるんですね。それが「私」という言葉であって、そういう言葉を使って、私は、この作品以降、「私は見ています」という作品や、「私の作品を聞かせてください」という作品、さらに、今進行中なのですが「私たちの作品を見てください」という、「私」という名の付く作品をいくつか作ってきました。
ー「写真」というとどうしても「私」がある被写体を「撮る」という構図だとか、作家である「私」がきれいな風景を撮ってそれが作品となるという伝統的な考え方がありますが、前沢さんの作品では、作家がこうした伝統的な枠組みで見られる「私」という位置からいなくなってしまうわけですね。
前沢:そうですね。個人は、「私」、「鑑賞者」、「作家」、「参加者」などのさまざまな立場と関係を行き来することになります。参加者が作り手にもなり、鑑賞者にもなる。参加者が思っていた「私」がいつの間にか違う「私」に転換する。交互に立場と見方が入れ替わるのです。「私」という言葉の中で美術のあり方、作品のあり方が変わって見えてくるという作用がこの作品にはあると思います。
処刑台、パンが入れられていた箱、ケースに集められたパン、壁面にはパフォーマンスの映像のプロジェクション…2004年6月の川崎市市民ミュージアムでのパフォーマンス「処刑ーパン人間」の後、企画展示室で開催された展覧会(会期1週間)の光景。
折元:写真は、僕の作品やパフォーマンスの表現の手段として使っているだけです。ドローイングもあります。オブジェ、お母さんの薬のカラを全部集めたオブジェなんかもあるんですけどね。そういう風に、生活の中から、自分の生活の中から、自分の汗とか、それから排出物も含めた全部のものが作品となって、そのひとつとして、僕には写真があるわけです。僕はそういう方向で撮っているつもりです。今回のようにきれいに並べる場合もあるし、サンパウロでは写真を直にダーッと壁に貼っちゃう、そんな方法もあります。その方がリアリティがあるから。僕はそういうのが好きなんです。僕は写真家ではない。でもヨーロッパじゃ「これは写真です」と、写真美術館で展覧会をやるわけです。
ー逆に言うと、日本でも、写真家ではないけど、写真の作品として展示できるそういう状況が生まれつつあるのかもしれません。ですから、折元さん、希望を捨てないでください(笑)。
折元:いや、もうー、ね。僕、寂しいのよ(苦笑)。サンパウロで一生懸命やって、市長さんも来てテレビも来て、その日は「もう疲れた!」ってベッドで倒れちゃうくらい疲れてやっているのに、日本に帰ってきて、僕は独り者で子供いないし、あとはお袋に「おばあちゃん、頑張ってやってきたよ!」と新聞見せて……「それだけかい?」って感じで……(苦笑)。日本のジャーナリストが来るわけじゃないし、プレスリリースを100枚ぐらい送ってもひとつもコンタクトがありません。「そんなの関係ない!」(小島よしおの真似)と思うのですが、日本にいるとストレスがすごいです。
僕は今の日本の状態では、場違いな日本人、場違いなアーティスト、そんな感じです。ただ、ヨーロッパではどういうわけか場違いじゃなくて、場があって、アーティストです。ヨーロッパの美術館じゃこの頃、スペインだとかベルリンだとかそういうオファーが来るようになりました。ヨーロッパでは場所があるのです。日本だと、今は特にない。僕は寂しいね、今の状態が。でも、動いてきているなというのは感じます。
ーそう、動いてきているのではないでしょうか。
「処刑ーパン人間」パフォーマンスの模様 川崎市市民ミュージアム・企画展示室にて 2004年6月
ー写真のことについてお聞きしたいと思います。渡米してフルクサスグループと出会われてパフォーマンスを本格的に始められるわけですが、その最初期、1972年くらいからすでにしっかりと写真で記録されています。しかもたんなる記録ではなく、絵的な表現として。つまり、折元さんのパフォーマンスの作品は、最初から写真の力というのを意識されているように思うんですけどいかがですか? パフォーマンスアートの歴史を見て行くと記録写真みたいなのはあるんです。たとえばオノ・ヨーコの記録写真みたいな、新聞に添えられるような記録写真はあるんですが、そういうのとは違う、表現の意志を持った写真を最初からご自身のパフォーマンスの仕事のなかに組み込んでいらっしゃるような感じがするんですけどいかがでしょうか?
折元:そうですね。たしかに、僕はベーシックにはパフォーマンスという、身体で表現することをアートとしています。ただ、僕の作品として、作品を残す。ドローイングであったり、オブジェであったり写真であったり。いろんなマテリアルで発表しています。その中のひとつとして写真は重要なのです。実は、僕は日本のいろんな芸術大学を受験してすべて落っこっちゃったんです。落ちこぼれでした。油絵で、全部絵画で受験しています。だから僕はドローイングとかデッサンとか、油絵を志望した浪人生として長く勉強しました。その影響かもしれませんが、パフォーマンスをやるにしても、ひとつ絵的なものとして残してやろうとする気持ちがあります。写真にもそういう狙いがあります。今度ベルリンの写真のミュージアムで回顧展が計画されています。僕の写真はパフォーマンスの写真なのですが、ヨーロッパではいわゆる写真写真していなくても、写真が媒体であれば美術館で展示できる、そういう時代に来ています。だから僕の作品も、ベルリンの写真のミュージアムで展覧会をやるという話が出るわけです。僕の写真はたしかにドキュメンタリーです。たとえば「パン人間」をやっていても全部ドキュメンタリーですよ。今回サンパウロで発表した写真も、ドキュメントです。それを500点くらい展示しています。バーッと映画のスチールを見るような感じです。アクションしているのが全部見れるんですね。すべてを写真として残すのです。そして、写真として売る。たとえば、オノ・ヨーコがオッパイ出してテレビ付けてるパフォーマンスがあります。彼女のこのパフォーマンスには二、三点の写真がよく使われ、新聞に載ったり、記録として残っていますけどそれだけなんです。僕のパフォーマンスは、すべてのものが写真の媒体として残っています。
2004年6月に行われたパフォーマンス「処刑ーパン人間」 処刑台、中央は折元立身
ー今日のゲストは、折元立身さんです。よろしくお願いいたします。
折元:東京マラソン(本トーク開催当日2/17に開催)へ行かないで、こっちに来てくれてありがとう!
ーさっそく作品についてお話をうかがいます。今回展示させていただきました「処刑─パン人間」、これはどういう発想から生まれたのでしょうか?
折元:2004年に川崎市市民ミュージアムの企画展示室で行ったパフォーマンスの写真なんです。僕はずっと「パン人間」などパンに関する作品をやっていて、同じく川崎市市民ミュージアムでかつて「Selling Bread(パンを売る人たち)」のパフォーマンスをやっています。その一環として考えたんです。パンを使った「処刑」というアイデアですね。、ヒントになったのは、スペインの作家ゴヤの版画に、処刑をテーマにした版画があるのと、それから、マネの作品に、メキシコのマクシミリアン皇帝が至近距離でライフルで処刑される光景を描いた絵があります。美術史の中で特異ですがテーマとしてあるのです。そういうのを見て、パン人間だからパン人間の「処刑」というものを考えてみました。
まず最初に、パフォーマンスのリハーサルの日に、やっているところを写真に撮って記録に残しました。次の日に参加者の皆さんに写真を見せました。そして本チャンのパフォーマンスの「パン人間の処刑」をやりました。そのあとでしばらくして、写真を日本のある評論家に見せました。そしたら、悪評でした。というのは、日本ではこういうアグリーな処刑とか、戦争物とか、ドラッグ、麻薬、セックスをストレートに見せるのは、なんというのか、国民性かもしれませんけど、好まれません。特に僕が見せた二人の評論家は「これはちょっと……」と、「こういう戦争物みたいな、直接的な表現は受け入れられない」と、すぐ反応しました。それで、僕はちょっと落ち込みました。
ー「笑い」といいますか、楽しませることに開眼したということでしょうか?2007年になってさらにこのシリーズが続々と生まれています。たとえば「独りゾンビ」。今回の展示では拝見できませんが、ネットで見ることができます。笑ってしまいますが、ひとりぼっちのゾンビはもの悲しい感じもします……このアイデアはどこから来たのでしょうか? 写されている空間は、行ったことがある人には見ただけでこれはジャスコだなとわかると思いますが…
今:運命的なものでした。僕が妻とジャスコで買い物をしているときでした。「なんか『ゾンビ(映画)』っぽいねここ」という話題になりました。サヴィーニが2階から飛んできそうなシチュエーションだと。だけど、『ゾンビ』だと役者さんがたくさん要るなと。そう言うと、「だったら『独りゾンビ』にすりゃいいじゃない」と(笑)。「Dawn of the Dead」(邦題『ゾンビ』)ではうじゃうじゃいるところに独りでぽつんとゾンビがいるというイメージです。イオンは、民主党の岡田さん(岡田克也衆議院議員)の先代が作り上げたばかでかいお城です。大型店の規制緩和で出来たわけですが、それによっていわゆる昔からある商店街というのがなくなって、お客さんがみんな大型店舗へ流れるようになりました。実は、田舎へ帰ると昔よく遊びに行ったお店がなくなっていて「あれ!?」と、いう感じがあります。昔懐かしいふるさとが変貌していることへの風刺もあったりしますけども、映画の『ゾンビ』を知らない人が見ると、この作品はチンプンカンプンなんじゃないかなと思うんですが、こういう社会的なテーマも実は意識としてはあるのです。おかしいけど、まじめに。
ー「銀ちゃん」もそうですよね。社会的な事象とも関わっています。「17歳」をめぐるさまざまな事件とか。「独りゾンビ」にしても、「ジャスコ/イオン」の異様に巨大な空間が入ってくる。異常な空間だと思うんです。とにかく巨大で、空虚な感じもするという。だから『ゾンビ』を観ていなくてもわかるところもあると思うんです。「ゾンビ」の次は…
今:「FIRST LOVE」(2008)です。
ー先週、1月27日に撮影された最新作ですね。インターネット上でワールドプレミアをされたばかりの「FIRST LOVE」です。今、ネット上で拝見できます。
今:宇多田ヒカルの「First Love」を聴くと僕はものすごく泣けてきちゃいます。新作は、今でこそ旦那さんと結婚して、子供ももうけて幸せな主婦業をやってる人が、中学校時代に本当に好きになった人が女の子だったっていう、せつない、はかなく、一瞬で消えてしまうものを永遠に写真に焼き付けてあげたかったってのです…。
ーまさしく、テーマは「愛」ですね(笑)。まだごらんになってない方もいらっしゃると思うんですけど、ぜひインターネットで今さんのサイトがありますので、そこに公開されておりますので、見ていただければと思います。作品がどんどん広まっていっていますよね。いま全部で8作品ございますが。
今:このまま100点作っていきたいなと思います。
ー次は「銀ちゃん」。こちらはどういうお話しで…
今:「銀ちゃん」はあるものに対するオマージュというか、あこがれだけで作り上げたものです。「銀ちゃん」というキャプションは、本宮ひろ志の「俺の空」をモチーフとしています。5、6年前にセブンティーン(17歳)の理由・動機なき殺人事件というのが多発しました。ただ彼らの動機のなさというのは「銀ちゃん」とは全く別でして、銀ちゃんには愛するものや信じるものがあるのです。
ー愛がテーマですか?
今:はい(笑)。まあ、愛だけがテーマではないんですよ。愛するもののために命を落としてまでも戦うことができるかという「ベタ」なね、クサイところが根っこにあるんです。満開の桜並木の疾走は「八ツ墓村」へのオマージュ…学生服に日本刀というのは社会党浅沼刺殺事件の山口二矢のイメージに重なるかもしれません…
ーそうですか。いろいろな要素が絡み合って、人によってさまざまなイメージを浮かび上がらせるような作品になっていますね。ところで、撮影は、結構大変だったんですか。
今:近くに交番があるんですけど、まずそこへ行って撮影許可を取りました。ダミーですが日本刀を持ってるわけですから。それと、桜が満開のときは必ずお客さんがいるわけで。花見の客。その人たちをどかすわけにも行かないので、一回超スローシャッターで写真を撮って、周りの人を消して、それでもう一回シャッタースピードを変えて合成(二重露光)をしました。とにかく走っているときというのは、瞬間を写さなくちゃならない。変なポーズに止まっている場合が多々あるんです。だから、動く人だけをデジカメで100枚くらい撮りました。走っているかっこいい瞬間を捕らえるのには結構時間がかかりました。
ー今日は、今義典さんをお迎えしてお話しいただきます。今回、3点展示させていただいています。実はこのシリーズ、今回、初めて世の中に公開される作品です。現在、このシリーズをネット上でどんどん展開されているんですけれど、まず、この作品を作ろうと思った動機をお聞かせ下さい──最初の記念すべき作品は「トンネルのある風景」ですね。
巨大なプリントの「トンネルのある風景」2006(右)
今:この作品に至る前までは、インスタレーションや動画の作品を作っていたんですけれど、一枚ものの大きな写真を作りたいなと思ったのです。そのきっかけになったのがこれです。強い動機があったのではなくて、演劇的な手法を用いて、ドラマ仕立てで一枚の絵で完結するドラマを作りたいという気持ちだけで作りました。
ー今さんのお仕事をご存じの方はたくさんいらっしゃると思います。かつて、写真新世紀で華々しく脚光を浴びられましたから。その後ドイツのデュッセルドルフ美術アカデミーに行かれまして、あのベッヒャーの下で勉強されました。日本人で初のベッヒャークラスの生徒になられました。その後、アカデミーでイェテローヴァさんの下で勉強されたり、いろいろと方向性を探って、ひとつはインスタレーション的な展示、イェテローヴァさんは彫刻家でしたよね。空間の中に写真・映像を入れ込んでいくといった類のものを作っていらっしゃった。それともうひとつは、動画ですね。ビデオを編集して作り込んだ作品があります。「ジャンパー」という傑作です。市民ミュージアムで2000年に上映させてもらいました。つまり、インスタレーションや動画の作品から、ある意味で原点回帰ではないかといえる、写真の作品に戻ってきたのではないかという感じがするんですけど──
今:実は一昨年、自分の部屋でひとりで「写真家宣言」をしまして(笑)、伝えたい想いが希薄だったのか、作品の様式ばかりが先に立ち、「写真」であることの意味を問いただせないままでした。その時期が結構長かったような気がします。はっきりした答えが出ないまま、映像をやったりインスタレーションをやったり…非常に不埒な時代と決別するために、一枚の写真でバンッとやっていこうかなという思いに至ったのが2006年頃なんです。だからある意味、ルーキーみたいな感じなんです。それこそ気を一新した一年生みたいな感じで、いま何をやっても写真作品をつくるが楽しいんですよ。
—今回は、一番新しい作品も展示していただきました。「one day」ですね。新作についてお話をうかがいたいのですが…
北野:これはごくごく最近、去年からです。この先どういう作品になっていくかわからないですけれど、毎度「our face」ばかりでなく、何か新しいのを出したいと思いまして始めたばかりの作品を今回出しました。
ーどういう形で撮られているんですか?
北野:タイトル「one day」は「一日」、「ある日」という言葉をつけていますけれども、文字通り一つの場所の一日を一枚で撮っている写真です。厳密に24時間とか、日の出から日没までシャッターが開いているわけではないんですけれども、ほぼ朝その場所が動き出す、新宿のデパートが開くちょっと前から日没までとか、だいたい夏場で8時間くらい、冬場で6時間くらい、だいたい何となく一日シャッターを開けて撮っています。
ー(江ノ島の写真の前に立ちながら)ここにじーっといるわけですよね、北野さんがね。怪しまれないんですか?
北野:怪しまれると思いますよ。江ノ島撮っている時なんか、水着撮っていますから。
—カメラのフォーマットはどれくらいの大きさですか?
北野:4×5ですね。
—そしたらかなり目立ちますよね。大きめの三脚を立てて。
北野:振動とか怖いですし、フィルムのフォルダですとか、カメラの金属のつなぎ目からの光で感光しちゃうんですね。ですから厳重に袋で包んで、フードで周りを囲って、結構物々しいです。これも、「our face」とちょっと似ているところがあるんですけれども。
—どういうところでしょう?
北野:長い時間をかけて一つの場所を1枚に撮っている。今、9つのイメージを出していますけれども、できればもっともっとたくさんの量が必要な写真だと思っています。たぶん無理ですけれども、できれば365カット、365日で一冊本を作るくらいな気持ちでいます。というのは「our face」もそうなんですけれども、あらゆる人感、あらゆるもの感から僕はものを見たいんですね。富士山にもついて行くし、あの洞窟は沖縄の摩文仁なんですけれども、実際僕の三脚の周りにもちょっと掘れば遺骨が埋まっていて、こないだ集骨作業をなさっていましたけれども、そのようなところにもこの時点でも時間が流れているということを当たり前に引き受けて、日々暮らしたいというのがあります。ですから、いろいろな場所の一日、一日って皆さんもっている尺度だと思うんで、ポンと展示しやすいと思うんですね。ですから、本当にこうしている間に時間が過ぎていくということを、たくさん繋ぐような作業をしていきたいなと思っています。
ー「溶游する都市」の頃は悩みが深かったご様子ですね。ところで、方法やテーマは違いますけれども、ここにすでに「our face」とも通じる朦朧としたイメージの質感が出ています。これはどういうことでしょうか?
北野:これは写真をやっていらっしゃる方はおわかりになるでしょうけれども、人ごみなんかもシャッターが長く開いていますので、流れ、どろっとした感じに写りますね。本来人を撮るというのは、きっちり輪郭を描いてその人となりを照らし出すような、そういうフォルムを印画紙に留めるというのがセオリーだと思うんですけれども、自分自身を含めて人間てすごく曖昧で、脆くて、時にすごく小さい存在だということを直接的に見つめたいという気持ちが、この頃強かったんです。こういうスローで撮って、どろっと無機的な風景が有機的に見えてきたり、人の存在も本当に溶けてしまったりするんですけれども、その中にとても水の一滴じゃないですけれども、小さくて曖昧だけれども確かにそこに人が存在している、自分自身もとても曖昧で小さい存在だっていう、そこが逆にリアルに見えてきて、こんなふうに曖昧さをそのまま表現にしてもいいんだという、その辺がここで僕はちょっと…。
ーその辺でこの「our face」とも通じてくるわけですね。人間の存在というものを、写真で克明に撮ったらたしかにはっきり写っていて、かっこよかったり美しかったりするわけですけれども、それも人間の存在の一つのあり方だけれども、もっと全体的に考えた場合にそういうものではないと。不安定で曖昧で。
北野:そうですね。こういうふうに見えたということが僕自身にとっても大きかったし、写真独特の方法で、そんなふうなリアリティに届いたということが。確かに自分は生きているというような、若い頃に欲しがっていた実感みたいなものが、写真を介して手に入ったというか実感がありました。
北野さんの作品の展示風景 撮影:北野謙
ー今日は、作家の北野謙さんをお招きしまして、作品について語っていただきます。北野謙さん、よろしくお願いいたします。早速今回の展示作品についてお話をうかがいたいと思うんですけれども。北野さんは、様々な人、職業であったり、場所であったり、一つのポイントで人々を重ね合わせて一つの写真を作る作品「our face」が高く評価されまして、日本写真協会賞を去年受賞されています。「our face」について…
北野:一見して不気味な写真かもしれません。これはどういう写真かといいますと、職場だったり、学校だったり、お祭りだったり、伝統の芸能に関わる人たちだったり、あるいはスポーツのファンや選手だったり、本当にいろいろな人たちのところに訪ねて、ポートレートを撮っています。行った先で、極力全員の写真を撮らせて下さいとお願いするんです。一人かっこいい人を見つけて撮るんじゃなくて、全員なるべく撮らせてほしいと。
まあ、何万人といるようなお祭りはできる範囲でですけれども、撮影した数十人とか、多くて百人くらいですかね、その人たちを暗室の中で一枚のプリントに、一人一人を薄く露光しながら、一枚の印画紙にネガを何枚か変えて、60人だったら60回繰り返して、ぼんやりとした一人というか、全員が重なった像を制作します。ですから、実際にこういう人たちがいらっしゃるわけじゃないんですね。一人一人いろいろな方がいらっしゃるんですけれども、重なって出てきた集団の像と言いますか、集団の時間と光が蓄積されたイメージがこれらの肖像です。
アナログでプリントを重ねると言いましたけれども、今回、展示している作品はそのプリントからスキャンニングして、インクジェットの大きい出力で出力したものです。
ー今回の作品もそうですが、三田村さんの作品には、「試み」というか「企み」といった方がいいかもしれませんけどそういう仕掛けがあって最終的にこういう展示空間の中で表現されるという形をとっていますよね。ですから、いわゆる「写真家」として写真を展示しているわけじゃなくて、空間とその仕組みのなかに写真が重要な部分として入ってくるという使われ方をしていると思うんですけど、写真というのは三田村さんの作品づくりのなかでどういう役割を果たしているんでしょうか?
三田村:私がいつも作る作品というのは、空間の中で、三次元の中で、写真だけでなくていろんな素材を使って展示する場合がほとんどなんですけど、「人が足を踏み入れられるドラマ」っていう、自分のなかでテーマというかキャッチフレーズを意識していまして、足を踏み入れられるドラマってどういうことかというと、たとえば映画を見たりとか、三次元というと舞台を見たりとか、そういうものって、中で行われていることは三次元的なことであっても、自分の中にはもうひとつ、向こう側で行われているメディアっていうのがあって、そうじゃなくて実際に足を、見る人が踏み入れてそこの空間で何かを感じ取れるドラマというのを作りたいなと思っていますね。たとえば空間を本にたとえると、写真はその中の挿絵のようなものというか、そういった形で使っているんですね。で、ひとつひとつには説明がないけれど、写真を見ることで全体のストーリーが伝わってくるような、そういったものを意識しているのかなと自分で最近ようやく思うようになりましたね。
ー今おっしゃったように、テレビとか映画だと、たしかに映像でいろんなストーリーが展開するけど、それはやっぱり、対象としてあるわけですね。それに入り込むという形ではなくて、それを距離をもってみて楽しむ形ですね。写真というのはそこの通り抜けができる力を持っているというわけですよね。
ー作家の三田村光土里さんです。よろしくお願いいたします。早速、今回の展覧会の作品について、お話しいただければと思うんですけど──今回は、「遠くに住んでいる人からの伝言 2005〜2006」という作品を展示させていただいています。
三田村さんの展示空間 撮影: 三田村光土里
三田村:とりあえず感想から自分なりに。今回の展示はやってみてよかったなと思っています。この作品を作った頃の「寒さ」が伝わるシーズンにやれたんで、そのタイミングとしても冬でよかったという感想があります。作品を作った経緯は、フィンランドに行く前に、作品の舞台というか、プロジェクトの舞台に、「古書一路」という古本屋さんがありまして、そこでなにか作品ができないかどうか話をもらったのです。私自身はほぼ古本しか読まない人で、というのは新書を本屋さんで買おうと思うと何を買っていいのかわからないです。平積みになっているんで。目的を持って買いに行くのがダメなんです。古本屋のワゴンの中から、古本に出会うのが好きで。それを買っては読みということが私の読書のスタイルなんです。作品の内容はごらんの通り、手書きの手紙と、フィンランドで撮った夏の写真を半分に切って、それぞれを栞にして、フィンランドから私が手紙を出した人たちに送られる。それに、古本の中のワンフレーズをメッセージとして、指定した古本屋を訪ねその本が渡される。ちょっとスパイじみた、推理小説っぽい「舞台」というか、ドラマそのものを、作品に関わる人が体験というか、ひとりひとりが体験できるドラマがそこで生まれたらいいなということで、こういう実際の栞を使った伝言を伝えたら本が渡されて、その本に運んだメッセージが書かれていて、さらに本の中にはメッセージが書かれた栞が入っている。その二つの栞を組み合わせると、たとえば夏のフィンランドの景色が──そういう形式をとっています。
左: 封筒、手書きの手紙、栞、古本など 右: 書き損じの手紙を束ねたものと三本のボールペン
ー展示されているものを少し細かく見てみましょうか。
三田村:(ケース内に展示されている自筆の手紙を指して)
これは全部手書きで書いた手紙なんですが、もちろん日本語で書いています。フィンランドはフィンランド語を使っていて、私はその言葉が全くわからないし、日本語で手紙を書けることが私にとってすごく重要で、うれしくて、それが人に言語として伝わるということが、うれしいなと思えたんで、とにかく自分の「作品」というには形があまりないもので、とにかく自分で手書きで書こうということで手書きで書いています。全然最近、手で書かないじゃないですか。字を間違えないように書こうとしたんですが、もともと間違えやすい人なんで(笑)、書き損じがあるんですが、3ページの手紙を、写真も含めて4ページの手紙を30人の人に書いたんですけど、実際それと同じくらいの枚数の書き損じができてしまって、ボールペンも3本空になっちゃったっていうことだったので、書き損じもひとつの記念として、ひとつの作品として、ケースに展示してみたんですけど……
ーボールペンを3本空にするといったら相当書かないと減りませんよね。
三田村:あんまりないですよね。だいたい私は無駄遣い派で、小学校から鉛筆もボールペンも使い切ったことがない人なんで、ちょっとすごい達成感をこのボールペンを見て感じました(笑)。ビデオも、3本くらい撮り、一緒に展示しています。写真は、フィンランドにいる間に、ちょこちょこと撮った、冬の空気を感じてもらおうかなというもので、暑さがどこにもない、寒さというものを、ちょこちょこと手紙を書いてたときのアパートの周りにある、すぐ近くに海があるんですね。ヘルシンキって海沿いなんですね。歩いてから3分くらいのところに海がある、その海が、手紙を書いている一週間くらいの間に凍ってくるんですね。ちょこちょことだんだん、薄氷が張って凍っていく海の情景をはさみながら、ビデオも撮ったんです。
屋代は、90年代半ばから20世紀末にかけて、写真家が撮影の大前提としてきた被写体のあり方に苦悶しそこからの脱出を図ろうとしてきた。その予兆が、ターンテーブル上にモノを置いて回すことによって被写体の差異を回転の残像へと解消し対象を単純化する実験にあった。さらに「写すー写される」、「主体ー客体」という関係を、自らの回転像をカメラの視野のなかに入れ込むことで放り出すことで括弧に入れる事に成功し、彼のなかでそのプロセスは大きな一歩となり、その後、屋代の作品は「回転」をキーワードに組み立てられることになる。
ところで、屋代は自分で回転する場合も、回転する「自分」はいわゆる「セルフポートレート」ではない。主体はすでに滅却されているのである。というのは、回転像は無差別的であるという彼が見つけ出した認識からすれば、「自ら」の回転に拘る必要もなく「他者」が回転しても構わないからである。既述したように実際に他者が回るという展開は、横浜トリエンナーレが開催された2005年(屋代はトリエンナーレにも参加していた)、同時期に横浜美術館の「市民のアトリエ」から市民と一緒になにかやって下さいという申し出をきっかけに大きく動き出す。回転回の制作の現場を市民とともに体験する試みがなされた。その結果、「招待撮影」、「訪問撮影」など多くの人々が「回転回」に参加するプロジェクトへの道が開かれた。
「写真一枚で見せるのでははなく、プロジェクトで見せています。現場を見せるというやり方で。」
屋代敏博は、世紀の変わり目となる2000年に自らが作家として大きな転換を果たした。アイルランドのベルファストに滞在中、風景の中に自らの回転する姿を写し込む作品を制作した。これがそれから今日までさまざまなかたちで展開してきた「回転回」の原点である。翌年の2001年早々に、彼は文化遺産に指定されたフランス・ロワール地方の古城をテーマにした写真作品の委嘱を受けたが、その際に、城の建築空間内で回転する自らの姿を入れ込むアイデアを提案し、実践して作品を制作した。この作品が高く評価され、「回転回」は大きく飛躍することになった。
2001年のフランスでのプロジェクトの作品が5点展示されている。奥のモニターは「回転回 LIVE」の映像記録。撮影: 屋代敏博
屋代は、1996年に作家として初の個展を行う。それは、学生時代に始めた「銭湯」のシリーズであった。消え去りつつある日本の銭湯を、男湯と女湯それぞれに克明に撮影しふたつを合わせた形で作品とした。その後、4年の間、作家として地道に発表活動を続けていたように見えるが、振り返ってみると葛藤の時期でもあったと言う。写真家がいて、カメラがあって、その先に被写体となる対象がある。この構図のなかでは、写真家はつねに対象に依存する関係を持ち続ける。この二項関係は、言葉を変えれば、主体と客体という西欧近代哲学の世界観の根底となる理解の枠組みに由来するものであった。19世紀半ばに生まれた写真も、この枠組みの上に利用され発展してきた。屋代はこの関係自体に疑問を投げかけながら写真家としての試行錯誤を重ねていた。その営みのなかで生まれたのが「回転回」である。屋代の言葉を聞いてみよう。
「写真をとるにあたって写真家として行くと対象物が必ずあります。対象に依存しない写真はあるのかなと思ったときに、自分がこちらにいて向こうになにかがあると必ず対象ができるわけです。逆にそれを無くなすために自分がそっちに行ってしまえばなくなるかなと思ったのです。」
ー旅と写真についてお伺いしたいのですが。旅と写真は写真が発明された直後から密接な関係にありました。旅しながら作品を作る重要な写真家が歴史を振り返るとたくさんいらっしゃいます。石川さんの仕事もその系譜に連なると思いますが、これまでの旅の写真家の仕事と比べると旅の仕方が石川さんならではの旅の仕方であり、写真の質も違うように感じられます。たとえば、日本の写真家の方でいいますと、アフリカ大陸やイスラム圏を旅してドラマチックな写真を発表されてきた野町和嘉さんや東南アジアを旅して写真の仕事にされた藤原新也さん、あるいは「センチメンタルな旅」の荒木経惟さんなど素晴らしい仕事をされた写真家がいらっしゃいますが…石川さんの写真には外国に行きながらも野町さんや藤原さんの写真とは異なる新しい感覚が感じられるように思うのですが、ご自身ではどのように思われますか?
「そうですね。野町さん、藤原さんなど大先輩の方々と違うのは、旅すること、外の世界に出ることが、昔と違ってだいぶ容易になってきていますよね。そういう状況と関連すると思うのですが、僕のなかでは、今いる現実が日常で、旅先が非日常という認識が全然ないのです。旅先でも今までの日常が続いていくような、そんな感覚です。今までの旅の写真がとってもドラマチックであったり、悩みや迷いを抱えての自分探し的な雰囲気をもっているとするならば、一方で自分の写真にはそうしたものは非常に希薄です。僕は東京で生まれましたが、世界を歩くことも身近な街を歩くことも、僕にとってはまったく同種のことでほとんど変わらないんですよ。」
ー先史時代の壁画への旅で歩くのと、自分の生まれた街を歩くのとがそんなに隔たったものではないと…
「自分の街というとあまりにも近いかもしれませんが、例えば隣町にいくような心持ちで知らないところを歩くという感覚です。登山や遠征などにしても、挑戦するといった意識は全くなくて、たんにあっちに行ったら何があるのだろうかという自分の好奇心によって日本も世界も隔てなく歩き続けてきたつもりです。」
ーでは、極端な言い方かもしれませんが、エベレスト登頂も富士登山もそんなに変わらない、と。
「うーん(笑)、そこまでいくと、結構ギャップはあるかもしれませんが、自分のなかでは○○に行くから気合いが入って、△△だから気合いが入ってないということはないのです。いつも同じように目を巡らせながらカメラを携えて新しい世界と出会っていくという感覚が強いですね。」

